2012年1月31日火曜日

ちょいとそこまで。

さて、昨日紹介したキアンボゴプライマリースクール訪問の時の話。

誘ってくれたジョンとの出会いは実に偶然なものだった。

昨年6月にエスタに誘われて参加したイベント(過去ブログアフリカンチャイルドデー。/飛び入り。)で、
私が活動を宣伝していたことを覚えていてくれたジョンと町ですれ違った折に
「君をずっと探していたんだ。うちの地元にきて是非、空手と布ナプキンと授業をしてくれないか?」
という誘いを受け、実現した学校訪問だった。
(ラジオ体操が彼の記憶の中で空手に変化していた)

5カ月もの間と思うと、随分と長い間覚えていてくれたことになる。

相変わらず、何がどう繋がっていくかわからないこういった活動。
あのイベントがきっかけで訪問した学校はこれで4校目。
本当にありがたい。

いつもは一人で身軽に学校に行くのだけど、今日はジョンと一緒。
ケニア人と待ち合わせをするということは、何の脈絡もなくとりあえず待つということである。

マタツステージに10時集合だったが、案の定40分遅れて登場したジョンは
「これから叔母の家にシャワーを浴びに行かなければならないからついてきてくれ。」
と言いやがったので、非常に冷めた目をして指導してあげた。

こういった情熱のある若者には、時間や約束を守ることは相手の信頼を得る
最低限のマナーなんだということくらいは伝えたい。

シャワーを浴びなければならない身体=イコール結構汚い限界マックスの身体ということで
バツの悪そうな顔をしているジョンを叔母の家に行かせて、少し時間をつぶして再集合。
ようやく準備が出来た11時半のマタツステージに、今回一緒に行くらしいリチャードが加わった。

3人で行くことはこの時初めて知ったのだが、
リチャードはなぜちょうどいいくらいの11時半にここに来たのだろうか。
だったら私にも11時半集合と告げてくれればいいものを・・・。

ケニアではこういったことがよくある。
奥がジョン、手前がエスタと共に仕事しているリチャード
その日は3人で向かった。
「明日は7時に出発だ」と確かにいっていた人々が、
7時には全く姿を見せず8時半に一気に集まりだし出発する。

こういった場合、私に伝えられる時間ももちろん7時。
「で、本当は何時なのよ??」と聞いても、「7時だって。」としか返答はない。

しかし、ここで油断は禁物。

たまーーーに、「7時」といっていた人々が本当に「7時」に集まってくる光景も2度ほどみている。

ケニアン時間を待つことには慣れてはいるが、ケニアン時間を読むにはまだまだ。

さて、その後マタツで30分行ったところから
学校まで「少し歩く」
と聞いていたが、


その「少し」が1時間半だと
誰が思うだろうか。


飲み水もない炎天下の中、坂を上に上にと登っていく。


右の写真の奥に見えるのがロンゴノット山。
マタツから降りたときに遠くに見上げていたロンゴノット山を
遠くに見下ろしている位置まで取り敢えず歩くと。


「ここから残り半分だ!」
と勢いづくジョン。
この道を大抵毎日歩いているらしい。




途中で村に水を運んでいる
バイクとも遭遇。


乾季中のナイバシャでは、
水を運ぶロバもよく見かける。

下校中の生徒たち。
サトウキビを食べる人々もよく見る光景。

     帰りには現在世界で大活躍中の
ケニア勢マラソンランナーのジョギングにも遭遇。
   大会で賞金を稼ぎ、地元に還元する。
そんな選手が多いとか。
帰りは別ルート2時間の徒歩・・・。
行きより30分増えるってどうゆうことよ?
また登り坂・・・、干乾びる・・・。
キリマンジャロより苦しい・・・。

炎天下の中、頭がクラクラし始めたころ
ようやくマタツの走るメインロードに到着し命拾い。


すぐ着たマタツに乗り込むと
過去に貼った初代ステッカーが私を迎えてくれた。
ナイバシャで確実に流れている時間を感じながら

「おいムズング(白人)!!
タウンに着いたぞ!
起きろって!」

と、みんなにゆり起こされるまで爆睡して帰った金曜日だった。

次回は水2リットルもっていこう。

2012年1月30日月曜日

神様がもしも・・・。

金曜に訪問したのはキャンボゴプライマリースクール。

前日のマンモス校とは大きく異なる小規模校。

この日はこの地元のユースグループで頑張っているジョンという青年に誘われていった。

この小屋が校舎.
幼稚園から6年生までが通っている。

全校生徒はたった60名程

この日とても印象深かったのは、

どの先生も話の中に「神の話」を入れるということ。

学校方針なのか先生たち自身の信仰深さなのか、

どの話も最後は

「それらはすべて神に委ねられている」

「それらはすべて神のみぞ知る」

で締めくくられる。




この日の対象は小学5年生と6年生の28名。

一緒にいったジョンもHuman Resource Development(人的資源開発とか人材育成)

という分野の授業をするといって張り切って生徒に熱く語りかけていた。

完全にカラ回り系男子の匂いがプンプンするジョン25歳は

先生たちの影響をがっつり受けて

「何をすれば神様は喜ぶか?」

と、生徒たちに問いかけていた。

これと自分の人生を考えることはどう関係するのだろうか。


どうやらその正解は  「歌う・祈る・願う」  ことのよう。


私はキリスト教の教えなるものを全く詳しく知らないけれど

もしも、イエス様が松岡修造のような人物であった場合

「言い訳してるんじゃないですか?
できないこと、無理だって
あきらめてるんじゃないですか?
頑張れ頑張れ できるできる 絶対できる


 頑張れもっとやれるって!!やれる!

 気持ちの問題だ!頑張れ頑張れ そこだ!そこだ! 

 あきらめんな!絶対に頑張れ!

積極的にポジティブに頑張れ頑張れ! 


 北京だって…頑張ってるんだからっ!」

 ~ イエス〈修造〉様の言葉 ~


こんなことが書いてある聖書だったら、

今頃アフリカ諸国はすっごいことになっていたんじゃないだろうか。

向上心ありまくり、挑戦しまくりの強靭な人材の宝庫に・・・。

と、以前同期隊員と話していたことがある。

しかし、宗教とはそこに一筋でも救いを求めるものだから

これほどの拡がり方はしなかっただろうけども・・・。




続いて、HIV/AIDS予防啓発の分野に入るとジョンは

「全く予習してきてません」と言わんばかりのしどろもどろさで

なんと、明らかにかかってきていない電話を、さも、かかってきたかのように振る舞い

バレバレの小芝居と共に教室から逃亡してしまったため(ありえん・・・。)

そのまる投げされたバトンを拾いつつ

私がHIVの基礎知識とその後の人生プラン設計について授業をすることになった。


小規模校&田舎になると生徒は恥ずかしがり屋になる傾向にある。

「恋人が出来たら何がしたい?」の質問に

「車の運転がしたい」

と、とてつもなく小さな声で回答してくれた男子生徒がいて微笑ましかった。


 最後は、信仰深いこの学校で特に力の入る部分。

あなたの人生は、家族が、学校が、国が決定するのではない。

自分の人生を決めるのは、自分でしかない。


ここに「“神”が決めるものでもないんだ」も含めようかと、よっぽど思ったが

学校の方針らしきものを目の当たりにしていることもあり今回はやめておいた。

帰ってきて、何やら真面目ぶってメモをとるジョン。

彼は「心が変われば行動が変わる・・・・・・、人生が変わる」という言葉に


強く感銘を受け、その後しばらく興奮していた。


私から先進国の風を感じたらしい。・・・。
布ナプキン普及も細々とやっておりますよ~。

地元を愛するジョンに連れられ、母校の小学校と高校にも挨拶に行く。

是非、母校にも授業をしてほしいということで来週に来ることがその場で決定した。

長いその道中では地元の全ての人と話がはずむジョン。

地元ユースグループでも活発に活動しているようで、

「僕は地元を愛しているんだ。」「僕が頑張って地元に還元したい。」

この言葉を何度も聞いた。

そして

「今日は僕は自分の力のなさにとてもショックを受けた。

MIHARUの授業を、自分のものにしたい。」

という言葉を聞いた時は、活動終盤ということもありジーンとした。

(後で聞くとジョンは私を自分より年下の22~3歳だと思っていたらしく、
何やらそこがとてもショックだったようだ。
“31歳ですけれど、何か?” といったら、とてつもなく驚き、妙に納得していた。)


情熱と行動力をもつ人物に出会える幸運はケニアでも日本でも同じ。

また面白いことになりそうな予感がした先週だった。


来るもの拒まず学校巡回。

先週は学校巡回を再開した。

水曜日と木曜日にはマタツと徒歩で1時間かけて
ケニア最大のマンモス校、MIRERAプライマリースクールへ。

ケニアの学校の校章は
大抵ペンやノートが書かれている
“SHIMIZU MIHARU”と遠くから連呼している生徒たちが迎えてくれた。

昨年授業をした生徒がフルネームで覚えてくれていたらしい。
ケニアで普段、「シミズ」と呼ばれることはないので嬉しい気分だった。

時間割り担当黒板
○○年生もやってくれない?
いっぺんに3クラスは無理かしら?

と、色んな先生が声をかけてくれるので最近は人数制限なし。

ひとつの教室に入る人数ならOK!無制限一本勝負!ということで


水曜は8年生(日本の中学2年生の年齢)の半分約250名。

木曜は7年生の半分約220名。

来週にまた7年生の半分約220名と続く予定。


さて、最近の完全カオス状態をご覧あれ。


うりゃうりゃとウォーミングアップ開始

ドドッと前に押し寄せる興奮気味の生徒たち

ぎゅうぎゅうでジャンプ後、砂埃マックス。
もう、どうにでもなれ状態。
はい。乗っちゃいました~。カオス!
将来、医者になりたい人~!
どの学校でも人気の職業「医者」

日本とはちょっと様子が違います。
こちらは7年生220名
この先生はいつも授業をサポートしてくれます。

授業が終わるとヘトヘトになってマタツ乗り場まで歩くこと15分。

3,000名を超える生徒たちとの下校は恐怖に等しい光景です。


全てのチャックがきちんと閉まるリュックを背負った子供を見ることは稀。
(というか、見たことないかも。というレベル)
この子たちが「このリュック、もう使えないな~。」と
判断する時はどんな状態の時でしょうか。 

乾期真っ只中のナイバシャは、1か月以上雨が降っていません。
町中が砂埃だらけ、鼻ものどもやられます。
この砂埃でカメラのレンズも閉まらなくなりますが
子供たちは免疫力を働かせ鼻水たらしながら
とにかく元気いっぱいです。





2012年1月26日木曜日

援助への違和感。



例えば、世界でも名の知れた億万長者が、

日本で生活する私の暮らしぶりを見たらどう思うだろう。

「随分と不便な生活をしている人間もいるものだ。」と思うかな。



確かに自家用ジェットがあれば便利だし、

金に糸目をつけず好きなものが何でも手に入る生活は夢かもしれない。


もらえるものがあるなら、何だってもらっておくに越したことはない。

そうやって贅沢できる点をあげればきりのない生活かもしれないが、

当の私自身は自分の貯えの中で、けっこう楽しい毎日を過ごしているつもりでいる。

それは何かをあきらめて惰性で生きているのではなく、自分なりの生きがいをもってのこと。


だから、「勝手にそっちの物差しで計らないでね。あなたたちに言ってもわからないだろうけど。」と思うだろう。




それと同じことで、

アフリカでボロボロの服を着た子供たちをみたとき、

一家そろって床で雑魚寝している現実をみたとき、



私たちの中に芽生える感情は、どうだろう。



少なくとも日本にいたときの私の感情は「何かできることはないか」というものであったし、

その写真に載っている人物が笑顔であれば、「貧しい中でも懸命に生きているんだなぁ」と過剰に反応しただろう。

どれも勝手にこちらが援助する側に立ち、その人々を援助する対象として見た結果のもので、

今から思えば、随分と失礼なことだったと思う。


そしてもっと言えば、アフリカの現状として映し出される画は、

先進国から遠いアフリカの貧しい人々に上記のような感情を抱かせるものが多かったように思う。



服がボロボロだってことが、一体なんだっていうんだろう。

家族みんなで一緒に寝ることの楽しさも知らないくせに。


ここで生活してみると、この人たちが生きているリアルな「日常」が見えてくる。


誰もこれを悲観的になんて思っていない。


「途上国にいるけど笑顔が素敵だ」なんて特別なものではない。


途上国にいようがいまいが、人間はうれしいことがあるから笑い、悲しいことがあったら泣く、それだけのこと。


HIVに関していえば「HIV感染率」や「HIV感染者数」などの統計は、現地の人のためのものというより

援助する側がこの問題をみるための物差しとしてしか登場してこないもののように感じる。


ケニアのHIV感染率が何%なのか、増えているのか、減っているのかなんてケニアの人々は知らないし、

日本の保健の教科書に必ず記載されているアフリカが真っ赤に染まった世界HIV感染マップも

ケニアの人々は見たことがない。


一体いつ、このHIV対策は終焉を迎えるのだろう。


それはきっと、問題そのものの解決ではなく、金の切れ目が対策の切れ目というだけのことだと思う。


ケニアで有名なキベラスラムには現在世界各国の136もの団体が援助に入っているらしい。


長年続く援助だけれど、キベラスラムは依然スラムのままである。






そしてまた、こういった写真から受け取る印象は、この2年間を経てガラリと変わるだろう。





一概にはいえないけれど、個人の純粋な善意が海を越えて間違った支援となって、


誰かの労働意欲を奪っていることが少なからずある。

誰かの私腹を肥やしていることも少なからずある。


そんな現実を知らないことの罪も、知ることの責任もどちらも重い。


だったら、私たちはせめて知らなければならない。




カッコいいねぇ~。



そうやって物事の本質を見る目を養わなければ、本当に誰ためにもならない。


アフリカ諸国が先進国の手を離れて自立できる日はいつか来るのだろうか。
過去関連ブログ《援助。

2012年1月24日火曜日

HIV陽性孤児院の訪問。


一時期、日本のHIV予防啓発ポスターに大きく書かれていた「STOPAIDS!」
この言葉をみて、HIV陽性者の男性が「HIV陽性者よ!撲滅まで動くんじゃない!といわれているようで、身動きできない思いがする。
日本のHIV予防啓発ポスターなどは、まだまだ陽性者の立場に立ったものではないんですね。」


と、笑いながら話してくれたことを時より思い出す。
これは日本で受けたエイズ補完研修(エイズに関連する職種の隊員が受ける9日間の特別研修)でのこと。

物事を片側からしかみていないということは、とても盲目で危険なことだと教えられたことが何度もあった。
そしてこれこそが、日本では気付けなかったことなんだろうと、ここに来たとき以上に思っている。
HIV陽性者といえど今は無料で治療も投薬も受け入ることができ、普通に暮らしながら寿命を全うできる。」
そんな当たり前のことを私は認識しているはずなのに、本当に普通に暮らしている姿を前にすると目頭が熱くなる。



昨年の活動の中で孤児院を訪問したときのことである。
そこで生活している子どもたちは両親を亡くしているうえに、みんなHIV陽性者。
親戚や路上で保護されて連れてこられた子供たちだ。
同じNGOが経営する孤児院はナイバシャに2つあり、HIV陽性の子供とそうでない子供とで分けられている。
「なぜわざわざ分ける必要があるのか?」
HIV陽性者=危険?〉そんな捉え方がそこにあるのではないかとの質問に、
HIV陽性の子供たちは毎日2回決まった時間に薬を飲み、
 毎月1回病院に行く必要があります。
 この子たちは、これを一生繰り返さなくてはなりません。
 それを確実に行うために施設をわけて管理しています。」と、教えてもらった。
すべて知識として持っている情報ではあったけれど、
陽性者として普通の暮らしを営むということがどれほど大変なことなのかを
私は何も知らなかったんだと感じた。
そこに学校から孤児院の子供たちが帰ってきたので交流させてもらった。
その日私は午前中にHIV予防啓発の授業で学校に行った帰りだったので、手元には一通りの教材がそろっている。
しかし、それらはすべてHIV感染しないための知識である。
もちろん裏を返せば感染させないための知識にもなりうるけれど、


それらを陽性者の視点から見たときに、
その存在自体を否定するような内容が絶対含まれていないと言い切れる自信もなければ、
その後に安易な落とし所で終わらせるディスカッションをする気もなく、
HIVについては結局触れずに終わった。

「エイズ対策」として派遣されていたり、学校を回りHIV/AIDSの授業をしている私の存在自体、
HIV/AIDSを超特別視している人間」
としてこの子たちの目に映るような気がして怖かった。

代わりにその日はギターを持っていたので一緒だった同期隊員と共にみんなに歌の披露をした。
将来、裁判官になりたいという学年で成績NO.1の高校生の女の子は
「君は自由に何にでもなれるんだ 君は自由にどこにでもいけるんだ」
という歌詞を、大きくてしっかりした瞳でじっと見つめていて、それが何とも印象的だった。

身寄りのない中で、“HIVに感染している”という向き合わざるをえない現実の厳しさ。
「色んなものを乗り越えている子供たち」としてみるのは、こちらの奢りだと思うけれど、
それでも笑顔で将来の夢を語り、元気に生活している子供たちの姿に、

今まで経験したことのない強さを感じた。

2012年1月21日土曜日

ツアーガイド養成講座。

昨日は任地ナイバシャにある専門学校に行ってきた。
そこはKenya Wildlife Service Training Institute(ケニア野生生物公社養成専門学校)といって
ケニア内の国立公園の管轄機関のスタッフをめざす学生たちが学ぶ場である。

そこに日本語教師という職種の隊員が派遣されていて、その隊員が受けもつツアーガイド専攻の学生たちに、
あのサファリガイド王である加藤さんが特別講師として授業するというので参加させてもらった。

対象学生9名のうちマサイマラに行ったことのある学生は2名とのこと。
日本人が理解しやすいマサイマラの基本知識の説明の仕方、動物の生態にまつわる知識、日本人観光客への対応のポイント、
期待度の高い動物たちの遭遇率、観光客がガイドに期待することなどなど。

「日本人は日の出や夕日、虹が非常に好きな人々です。」
と説明している加藤さん。
野鳥の日本語名を熱心にメモする学生たち。
マサイマラで5年間のガイド経験を経た加藤さんならではのエピソードは相変わらずおもしろくて、
その一瞬を捉えた魅力的な写真の数々に熱心に見入る学生の姿も印象的だった。
(詳しくは加藤さんの著書:僕は見習いナチュラリストにて)

将来サファリガイドを目標にしている学生たちは、
その知識と並行して日本人観光客に対応できるように簡単な日本語も勉強している。

写真をみながら日本人観光客役である私に対して日本語で自由に動物の説明をする練習。

一生懸命日本語に挑戦しているのだから、もちろん笑ってはいけない。


キリンの写真を見てガイドの練習。


学生A 「キリン ノ ミミ ハ ミジカイ デス。」

・・・・。


ゾウの写真を見てガイドの練習。
学生B 「ゾウ ノ ミミ ハ ナガイ デス。」

・・・・。

なんでしょう。

この2つの動物にある最も特徴的な部位をあえて外した

耳にのみ焦点を絞ったガイド。


斬新すぎるでしょう。


この素朴さも失わずに飛躍的に精進していって欲しいと感じたサファリ講座でした。

いや~本当に楽しかったです。

加藤さん、誘ってくれたダニー隊員ありがとう。
お疲れさまでした!





2012年1月20日金曜日

産科。

今週は色んな場所に顔を出しながら、またもやPMTCT(産科:母子感染予防)の部屋に入り浸っている。
(過去ブログ:母子感染予防

研修中の看護学生が触診中
19歳、がんばってました。

昨日は17名の初診の妊婦さんたちがきたが、
すでに妊娠6カ月の人、妊娠7カ月の人が
半分以上を占めていた。

診察後には看護師による1時間のPMTCT(HIV母子感染予防)
妊婦教室が始まる。

月ごとに担当ナースが代わるので、
今まで4人ほどの教室に参加したが
担当者の個性によって作り出す雰囲気も内容も様々。
(内容が様々なのはどうかとも思うが・・・)















今月の担当者はいつも元気でパワフルなタビサ。

太りすぎてしまった妊娠6カ月の妊婦さん。
胎児の心音を必死に探し続けるタビサ。
想像通り、やや威圧的だけど笑い所も満載の教室でおもしろい。

特に「妊娠中の夫の浮気を防止するための心得」は気合いが入っており、他の担当者のときは出てこなかった内容だった様な気がしたけど

妊婦たちはそんなタビサに圧倒されつつも

恥ずかしそうにしながら聞いていた。


昨日のHIV検査では陽性者は出なかったが、12月中旬から主要メーカーのHIV検査キットに誤診が出るということで全回収になった結果
今週火曜日には院内のHIV検査キットが底をつき一時ストップしている状態が続いている。

その中で妊婦は検査対象最優先としてHIV検査を続けているのだが、在庫にも限りがある。

その後の目途も立っていない様子で、現場はしばらく待ちぼうけの状態が続く。

仕事ができないVCTカウンセラーは、火曜日からも勤務としていつも以上にVCTルームにちゃんといるし・・・。

ピンチはチャンスとはよくいうけれど。
グローバルファンドのエイズ予算が大幅に削られる今後に向けて、
ケニア自らが動くきっかけとなればいいのだけれど、
それはとてつもなく難しいと思わされるここ数日の状態。



2012年1月18日水曜日

日記帳。

後悔しているかと聞かれれば、はいと答えるしかない。

それは「日記を書いておけばよかったじゃん。やっぱりー。」ということ。

毎日書いている人、どれくらいおられるでしょうか?

協力隊に来ることが決まった時、日本の書店で2年間分がまとめて書ける日記帳を
買おうか買わないでおこうか非常に迷ったことがあった。
結局形から入る性質なので、地元ではいまいち気に入るものがなく、都会に出たらそのうちと思い・・・。

このブログは閲覧してくれる皆さんのおかげで奇跡的に続いているが
ここに書くほどでもないけれども、たわいもなく、くだらないことが毎日いっぱい起こる。

日本にいた自分の感覚で日常と非日常の線引きがもう出来ない今の生活を、
帰国後の自分はどう振り返るだろうか。

自分だけのそのメモはきっと何年後でもその時の記憶を鮮明に蘇らせてくれるだろうに。

あー書いときゃよかった~。

ここにきて最近あやふやな記憶が多すぎて困ってしまっているのだ。

あ、これは昔からか?



~今日のたわいもない1日~

今日は久しぶりにCCC(HIV陽性者ケアセンター)に行った。
混雑している待合場所
ラミネート加工の掲示物も
3カ月経過してまだ劣化していなかった!
なんと!病院のスタッフが自分たちで
新しく診察カード入れを作成していた!
私の作った第1号はもうボロボロだったのです。

お昼になると相変わらずファイル(手前)を放って
医者はランチに出かけました。

栄養指導を受けている母親。
診療中でも街角でも公共の場で授乳するのは当たり前。
行きつけの店で遅めのランチ。
頼むのはいつもマチュンボ(牛の内臓)&ライス
これで80シル(約80円)!安い!うまい!


ランチ後はフェイスブックのゴールデンタイムが
至る所で始まります。
病院に貼ってあるポスターに
訪問者が興味を示してくれていました。

昨日と今日で院長、カウンターパート、ユースグループ、NGO、エスタ議員のところに出向き、
2校の学校関係者と連絡をとった。

それぞれの機関でどんな動きがあるか、そこで自分が何を提供できるか。

相変わらず活動はいつもそこから始まる。

▲「見かけないから日本に帰ったのかとおもったよ。どこにいってたんだ。さみしかったじゃないか。」

◎「ずっとナイロビにいたよ。
(国外旅行だと正直に答えるとイコール大金持ちとなり後々厄介なことが多々起こる。それを防止するための常套手段がこれ)
帰国するのは今年の3月やって(何度も)いってたやん。」

▲「何だって?もうすぐじゃないか!?今度はいつケニアに帰ってくるんだ?
旦那をケニアで見つけてこっちに住めばいいさ。俺が見つけてやる。」

というケニア流の一連のやりとりをもれなく全ての場所で行った。

帰宅後、ナイロビ行きの隊員が急に泊りに来ることになった。

そんな1日が今日も無事終わりを迎える。

2012年1月16日月曜日

帰国に向けて。

年末年始の任国外旅行から帰り、昨日任地に戻ってきた。

ナイロビのドミトリーに滞在中は、年末年始たまりにたまったメールの返信に追われるままに、

世界中の知人や教え子からの近況やニュースに驚いたり喜んだりの連続だった。


いや、月日は確実に流れているもんだな。

と、日本の知人からのメールが、いつもそれを痛いほど実感させてくれる。


その中に「帰国隊員に向けて」というJICA事務所からのメールもあった。

すぐに帰国のためのガイドブックの冊子も手元に届いた。

早速、3月末に共に帰国する現職の隊員と共に20kg分の荷物を日本に郵送し、

帰国後の国内研修中に宿泊するホテルの予約を済ませた。

たまたまドミトリーでその日ケニアの地に降り立った新隊員と顔を合わせる。

色白でダウンを着込んで到着した新隊員。

その初々しさは多くの古株隊員に混ざって光を放っていた。

初対面の女性隊員に何の前触れもなく「山登りはお好きですか?」と聞かれた。

あ、キリマンジャロオーラ出ちゃってました?

どうやら任期中に登山をしてみたいと思っているらしい。

自分のケニア到着時を思い出しつつ、

確実にケニアで過ごしたこの月日を振り返りつつ、

明日からまた活動再開。

明日病院に行ったら、みんなきっといつも通り「Umepotea Kabisa!(どこにいってたんだ?)」と
口々に訊ねてくれるだろう。

いつも通りのやり取りを交わしながら、最後だからといって特別なことをするわけじゃないけど、

決められた2年間という期限の中で自分としてちゃんとやり切ることも大切だと思う。

考えることをやめず、自分らしい切り口で。

最終章スタート。



2012年1月15日日曜日

アフリカ最高峰キリマンジャロ登山の解説。

さて、キリマンジャロ登山について。
毎年2~3人の死者がでるという山だということを事前に聞いていたが、
ただ何人中の2~3人なのかが分からない。
調べてみると年間の登山客数は約35,000人ということだった。

死なないわけではない山ということのようだけど、ま、とにかく油断は禁物ということで。
ここでは登山初心者の自分が振り返ってみて「へぇ~」と感じたものを書き記していくことにする。


登山ひとことメモ

1日目:ゲートで1時間以上待ってようやくスタートした。
呼吸法を意識するあまり空気を吸いすぎて呼吸が苦しい。
少し歩くペースが速いということなので明日から気をつけよう。

2日目:今日はクリスマスイブということで、みんなでサンタの帽子をかぶりプレゼント交換をした。
ポーターさんたちにも歌を歌ってもらいチキンを食べて大満足。

3日目:昨日に引き続きマリ隊員とエイズ予防啓発ダンスを踊った。
高山病で苦しむインド人に「君たちはなぜそんなに元気なのかね?」と、各々質問される。

4日目:植物のない砂漠地帯。
比較的楽な行程で早めにキャンプ地に入り、最終アタックに備える。

5日目:夜12時にキャンプ地を出発。新月の真っ暗闇のなか満天の星空は最高。
7時間かけて頂上にたどりつく。日の出を拝んで記念撮影。
その後、一気に駆け足で下山すること2時間。筋肉痛が半端ない。

6日目:3時間かけて下山して無事終了。
楽しみにしていた下山後のキリマンジャロビールがまずくてショック。
味覚がおかしくなっていることに気付く。


形成される大集団

まず、キリマンジャロ登山経験者から初めてその内容を教えてもらったとき、
「登山初心者」の私が最もびっくりしたのがそのグループの人数の多さである。
今回の私たちの場合、一緒に登った同期隊員6名に加えてガイド・サブガイド・コック・ウェイター・
ポーター(テントや食事などの機材・食糧、私たちの荷物を運んでくれる人たち)12名の合計18名の大集団で移動する。
ポーターたちは、ただただ、すごい。
常に私たちの先回りをして、キャンプ地にテントを張って食事の準備をしてくれるので、
その道中を共に歩くことはないが、多くの荷物を頭に載せて颯爽と登る姿には圧倒されるし、
その重労働はいくら大金を積まれても私にはできない過酷さだった。
実際ポーターに仕事について尋ねると、ガイドを夢見ていたり、好きでやっているのではなく
こんな重労働は出来ればしたくないという人のほうが多かった気がするが、
泥くささ満載でバカ騒ぎできるような男同志の青春をそこに感じた。



ルート

キリマンジャロにはいくつかの登山コースがある。

日本からのツアーで最も利用され、最も登山客が多いのが「マラングルート」。
これは別名コカコーラルートといわれていて、その所以は老若男女が飲めるコーラのようだからとか、
全日程、施設に宿泊することができコーラが販売できるほど整備されているルートだからといわれている。

完全に初心者である私の場合、迷わず「マラングルート」を選ぶべきところなのだが、
そこは周囲の流れにのっかり今回挑戦したのは「マチャメルート」。

それは別名ウィスキールートとよばれ、その名の通りツウが好むルートらしい。

6日間コースと7日間コースがあるが、すべてテント泊となる。
登山3日目ですでに富士山の高さを超えることを想像してもらうとその環境がいかに寒いかがわかっていただけると思う。





高地順応

この登山で問われるのは体力ではない。

崖や岩の多い箇所はあれど道中は比較的緩やかである。
よって登頂に成功するか否かは、高山病にかかるか否かということに大きく左右される。

そのため5日目の最終アタック(頂上に到達する)までは高度を上げたり下げたりを繰り返すことで
身体が高度に慣れていくように行程が組まれている。
今回の登山は高山病に効果があるといわれている薬ダイアモックスを服用したおかげか
高山病の症状が全く出なかったため、
私自身は一度上がってまた下るというこの行程に大いにじらされた。

3日目に一旦4,630m地点まで上がると頂上を間近にみることができる。
それなのに、高地順応のためそこから後ろ髪を引かれる思いで高度を下げなければならないときは、
早く頂上に行きたくてウズウズする。といった、登る前には全く想像できない心境になった。




呼吸法

ケニア山の登山経験者4名と完全初心者2名からなる私たちのグループは、
知っている情報に忠実に従って登山を楽しんだ。

呼吸法をおろそかにすると3日目以降痛い目にあうと聞いていたためスタート時からみんなで呼吸法の習得に励む。
資料に書いてあった通りに忠実に息を吐きながら2歩、吸いながら2歩すすんでみる。
すると、普段無意識にしている呼吸に意識を向けすぎると非常に息苦しくなることがよくわかった。

高山病が起こる地点よりはるか低い地点で、
いうなればケニアで普段生活している任地(標高2000m)よりも高度の低い地点で、
慣れない呼吸法に執着しすぎて空気を吸い込みすぎたため軽く過呼吸状態に陥り苦しかった。
結局、普通に呼吸をする方が身体が楽だと気付いた1日目だった。




登山グッズ

アウトドアブランドの服は、日本にいたときから好きでよく着ていたが、
それらは登山に利用してこそその高性能が活かされるのだと実感した。
バックパックについているポケットや穴や多くの紐にはひとつひとつ意味があり、
見たことない便利な登山専用グッズを身につけている多くのベテランたちを山で見た。

何よりも私がうらやましかったのは給水ホース付きの水筒。
水分が肺の働きを助けることもあって登山では1日2~4リットルの給水が必要となる。
そのため私たちは合図を決めて毎15分ごとに給水をした。
背中に水を背負いながら手軽にホースから飲めるグッズの便利さはとてもうらやましかった。

あと、それに準じて回数の増える排尿も・・・。
登山グッズではないが、背を向けて立ったまま簡単に排尿できるホースも非常にうらやましかった。
女性の排尿は場所の確保からして非常に手間がかかる。




最終アタック

頂上で日の出をみるため3時間ほどの仮眠をとったあと夜12時にテント出発。
一番きついといわれる登頂アタックのスタート。

ペットボトルの水も凍る氷点下の中、ヘッドライトの明かりを頼りに一歩ずつ慎重に進んでいくこと7時間。
その日は新月だったため月明かりの全くない中、頭上には満天の星が果てなく広がるなか「天の川」がくっきりと浮かぶ。

それは、星の中を浮遊している錯覚に陥るほど素晴らしい景色だった。
たぶんこの先、これ以上の星空を見ることはないだろう。

しかし・・・・その頃、高山病の一種である極度の眠気に襲われていた仲間の一人の言動が
完全におかしくなり、途中星どころではなくなった。

幻覚をみているのか、夢を見ているのか、たまに倒れてきては意味不明なことをつぶやきたまに大声で叫ぶ。

目はかすかに開いている。

頂上到着の直前で意識が戻ったその仲間は登ってきた6時間ほどの記憶がないらしい。

しかし、高度5895mで深く考え脳を使いすぎると酸素まで消費してしまうため
「ま、意識が戻ってよかったよかった」ということで誰も深く触れようとはせず、
氷一面の景色を眺めつつ頂上で記念撮影をした。

雨風もない晴天だったことも、全員の登頂成功を後押ししてくれた。

アフリカのてっぺんからアフリカ全土に向けてしっかりHIV予防啓発活動も行って、
1.5日かけて一気にキリマンジャロを駆け下りた。




そして登山後に体重を測ったら、なんと2.5キロ減。

この瞬間が最もうれしかったような気がした、キリマンジャロ登山への挑戦だった。



人生の最初で最後の登山と位置付けたい。

そして、カトゥーンリーダーはじめ、一緒に登ってくれたみんなには本当に感謝している。

山にも人にも存分に楽しめた一週間だった。

*PCの不調で写真がUPできません。また機会があれば・・・。