2011年10月30日日曜日

近所の動き。

この週末に先駆けて大使館からの安全対策情報の共有として
「手榴弾を発見した際の退避方法」なるものがメールで一斉送信されている。
出回っている手榴弾とはどれくらいの大きさなんだろうか。
メールには大動脈の防御法、神経系の防御法、鼓膜の防御法が記載されていて、
いざという時の応急処置の方法まで添付されている。
“それでは、よい週末を。”で、締めくくられたこの自分宛てのメール・・・。




昨日の買い物の帰りに家に向かって歩いていると後方からクラクションで呼び止められた。
それは私のカウンターパートの上司にあたるドクターの車だった。
同じ敷地内に住んでいて、いざという時にいつも頼りにしている同僚だ。


これから引っ越すということで、家の中はすでにもぬけの殻。
大きなトラックと共にまさに今そこを去ろうとしているところだった。


引越しするなんて、全く聞かされていなかったためかなり驚いた。
「何で言ってくれなかったの?」と聞けば、
「だって、聞かれなかったから。」と彼らは答えるだろう。
でもこういうことは、ケニアのあらゆる場面で本当の本当~によくある。


私と同じ敷地内には医者や警察官など比較的収入の安定した中所得層の人たちが住んでいる。
7月末に4人姉妹のジョイス一家を最近見かけないなぁ、と思ったら引越していたことを随分後に知ったし、
8月末には隣りのルーシーの家が早朝から騒がしいと目覚めたら引越し荷造りが終わり立ち去るところだった。
どちらももう新しい住人が住み始めている。
そして、来月末はまた違う家の住人が続いて引越しをするらしい。


   私「引越しするなんて、何かあったの?」


ドクター「常に電気も水もあってとても綺麗な物件をやっと見つけたんだよ。
     ここは塀も低いし、停電もあるし、何よりも断水が多すぎて不便過ぎるだろ。 
     こんな不便な生活は嫌だって、みんな同じ理由で引っ越していくんだよ。
     それより、MIHARUはこんな環境に満足してるのかい?
     一緒に引っ越してはどうか。よければ俺からJICAにいってやるぞ!」


え??だって、ここケニアやん。これがケニアやーん・・・。


あるに越したことないことはいっぱいあるけど、なくても問題ないこともいっぱいある。
今の家は既にとても居心地がいいし、私には十分な気がしてる。


しかしまぁ「不便と感じる=向上心の種」と捉えれば、
このように不便さを感じられるケニア人の存在というのは貴重なのかもしれない。


ケニアにいながらも貧困や干ばつや紛争のニュースを、
ケニアから遠く離れた日本にいるかのごとく、とても遠くに感じることが本当によくある。

2011年10月29日土曜日

『サファリ王と行く野生王国マサイマラツアー』ヌー編

7~9月のマサイマラの名物といえば、「ヌーの川渡り」。

今回のツアーはローシーズンに切り替わった10月上旬。
「運よく見れたらいいなぁ。」といいつつ、結構な期待をしていた我々一行。



この時期のマサイマラにはすでに川を渡り終えたんだか終えてないんだかわからないヌーたちが
至る所に集団でいます。

 ヌーには失礼ですが、半日もすれば見飽きるヌー。
一頭のみで立ってるだけで様になるウォーターバック。
本当にカッコイイ。
あ、またヌーだよ。
何か、バランスが悪いんだよね。
白熱のケンカシーンでさえも
マタツステージでケンカするケニア人を見るような
冷ややかな目で見てしまいます。
「あ~、また、ヌーがなんかやってるよ~」的な。
そんな時、「ヌーが川を渡りかけているよ」との一報を受け
我々のサファリカーもすぐにマラ川沿いに移動。
すでに多くのサファリカーが見守っています。
集団で川を渡りつつ、ワニとの死闘を繰り広げてこそのヌー。
最大の見せ場、到来!
川岸でたたずむヌーたち。
「押すなよ。絶対押すんじゃないよ!」

「オレがいく!」
「いや、だったら俺が行く!」
「いや俺がいく!」
オレがオレがオレが・・・・
「じゃ、どうぞ、どうぞ、どうぞ~~」
的なやりとりがあるんだか、ないんだか・・・
サファリカーはヌーを刺激しない距離を保って
ヌーが前進、後退を繰り返すのをひたすら待ちます。
(サファリカー左、ヌーたち右)
他の日もこんな風に待っておりました。
「行くの?行かないの?どっち?」
耳を澄ますとヌーたちの葛藤が聞こえます。

先頭のヌー「俺、もう弱い自分を卒業したいんだ。俺を行かせてくれよ!」

2~4頭目のヌー「お、お前、本当に行くのか!?              
          なら俺たちもお前と一緒に行くさ。俺たち仲間じゃないか!」

5頭目以降「今日も草めっちゃウメー。ムシャムシャムシャ・・・」
そう、葛藤してるのは先頭グループのみ。
その他大勢は前の人にただ着いてくスタイルの様子。

その頃、川岸にはお腹を空かせたクロコダイルが、こっちにも
あっちにも・・・ウジャウジャ
そして、その周辺には喰われた先輩ヌーたちの残骸が・・・・
ぎゃ~!!オレやっぱ無理ぃ~!!
やっぱオレも行かな~い!!
じゃ、オレもオレも~!
おい、おいてくなって~!!
オレ弱いままの自分でいいし~!
ダダダダダダ~~~ッ!
時間をかけてようやく川岸までじわじわ詰めたのに、一瞬にして草原へと帰っていきました。

想像以上に幅の小さかったマラ川。
ヌー以外にも色んな動物がこの川を渡るそうですが、
身体バランスが悪いためワニにやられる確率が高いヌーたち。

川にかかる橋の横でも川渡りに挑戦するヌーたちの話を聞いて
「橋を渡ればいいのに・・・」
と思ったのは私だけではないはず。

しかし、その場の勢いのみで前進し続けるヌーらしさを失うことなく
いつまでもヌーの川渡りショーを続けてほしいものです。

一度、生で見てみたいなぁ。


2011年10月28日金曜日

『サファリ王といく野生王国マサイマラツアー』サファリ王編

日本で一番動物王国マサイマラに精通している男、それが『サファリ王加藤さん』
もちろん、自称『サファリ王』ではない。

この加藤さんは協力隊になる以前、マサイマラにあるムパタ・サファリ・クラブというロッジで
プロサファリガイドとして5年間にわたり動物たちの魅力を日本人観光客に伝えてきた経歴をもち、
日本のTV番組「TVチャンピオン」で動物ガイド王に輝いた正真正銘の『サファリ王』なのだ。

マサイマラの動物たちの魅力がいっぱいつまった加藤さんの著書『僕は見習いナチュラリスト アフリカ野生王国編』の帯では、かの有名な坂本龍一氏が動物ではなく加藤さんを、

“日本にも、まだこんな爽やかな青年がいたのだ”

と、コメントしている。まさにその言葉通りの人物なのだ。
そんな人物がケニアの協力隊にいると知った約1年前。

「この『サファリ王』とマサイマラに行かない理由が、みつからない!いくしかないっしょ~~!!」ということで
同期で嘆願書を書き、待ちに待った『サファリ王加藤さんと行く動物王国マサイマラツアー』にいってきた
時のお話を何回かに分けて気の済むまで紹介したい。

大阪府と同じくらいの面積をもつマサイマラはいってしまえば加藤さんのお庭。

長年いる動物たちの個体が識別できるサファリ王加藤さんからは、
その動物にまつわる様々なドラマや生態など、ガイドブックには載っていない情報もいっぱい教えてもらって、
最終日には動物たちに勝手に妙な親近感が湧き、参加者全員が「もう一回来たい!(できたらサファリ王と。)」
と口にするほど、マサイマラとサファリ王加藤さんに魅了されっぱなしのツアーとなった。

「ネイチャーウォーク」でロッジの周りを散策中。
植物にも非常に詳しい加藤隊長。

「どうして?」の疑問に丁寧に答えてくれる加藤隊長。
自然にやさしい、穏やかな口調に癒されます。
このサッカーコートは中田英寿選手がIXYのCM撮影で
マサイ族とジャンプした場所なのだとか。
世界を旅した彼に見えたものは何だったのだろう?
朝5時半の星空観察。
加藤隊長の説明する星をがんばって目で追う一行。

その日の空。
サファリ中には車がスタッグするトラブルも発生。
そんな時は見晴らしのよいロッジで
のんびり5時間ほど待機。
サファリ王への質問攻めを繰り返したメンバーたち。
カバをバックに集合写真。



2011年10月26日水曜日

無事、ナイロビを出る。

無事だとかいうと少々大げさな気もするが、本日無事にナイロビから任地ナイバシャに帰ってきた。
ここ最近、ケニアでは物騒な事件が連発して起きている。

“ナイロビ ノ バー デ バクハツ. フショウシャ アリ. ダウンタウンニ チカヅカナイデクダサイ”
“ナイロビ バスステージ デ バクハツ. シシャ アリ. チカヅカナイデクダサイ.”

こっちとしても絶対に近づきたくないのだが、詳細な場所がわからないだけに恐ろしさは倍増。

9月下旬に起こった連続外国人誘拐事件以降、
急激に増えている緊急SMSと大使館からの安全管理対策メール。
16日 -  その誘拐事件にソマリアを拠点とするイスラム過激派組織「アルシャバブ」が関与していると
        判断したケニア軍がソマリア南部に侵攻を開始。
17日 -  撤退要求に応じなかったケニア軍に対してテロ組織から報復予告が出される。
24日未明-ナイロビ中心部のローカルバーに手榴弾が投げこまれ13名以上が負傷する事件発生。
24日夕方-ナイロビ中心部のバス停で手榴弾が爆発し1名が死亡、8名が重症の事件発生。

テロ組織の予告通り、報復が始まったということらしい。

今回の連続爆破事件を受けてJICA事務所からはナイロビへの移動禁止の連絡があった。
どの方面に向かうマタツも、今回の標的となっているナイロビ中心部(人の多く集まる場所)が
中継地点となるため出ることも来ることも禁止。
結局ナイロビにいた私は月曜日はそのままドミトリーに待機。

わざわざ報復予告を前もって出す利点ってどこにあるんだろうか。
報道官とはいうけれど、報復予告なんて、どのような場で宣言して
それをどのようにしてケニア政府が受け取っているのだろうか。
オフィシャルレターみたいなものが存在するんだろうか。

・・・・などど、いつも通り平和な時間の流れるドミトリーで隊員同士話していた。

そして本日早朝にタウン内を経由しないJICA号でわざわざ任地まで送り届けてもらった。

今後、しばらく様子を見守ることとなる。

それより、テロの終わりっていつなんだろう。それもちゃんとお知らせしてくれるんだろうか。

2011年10月24日月曜日

マチャコスイベント。


土曜日に先輩隊員が「I am an AFRICAN WOMAN!」というイベントを開催したので参加してきた。

ケニアのファッション産業を盛り上げるために企画されたイベントということで、一番の目玉はケニア産のもので着飾った女性たちのファッションショーだった。

地方都市での開催ということもあるが、日本のように同じような髪型で同じような痩せ型のモデルがズラリと並ぶファッションショーとは違って、坊主の人やドレッドヘアの人、ムッチリした人からキュッとした人まで、それぞれの体型や個性にあった様々な衣装の着こなしが見られて、パンチの効いた楽しいショーだった。
会場一の大歓声をもらった女の子

最近の私自身のイベントへの関わり方といえば、

①HIPHOPダンスチーム「YAMATO」のステージ活動
オープニングダンスの決めポーズ☆
②コンドーム星からやってきたMr.サフィ君と共に
 HIV予防啓発活動&呼び込み

会場の外、路肩で呼び込みのダンス
サフィ君と一緒に。





③KESTESのブース活動

今回もこの3点で、イベントに参戦。

新バージョンのダンスもバッチリ決まって、今後のダンス活動展開も楽しみな内容となった。

9月にケニアに来たばかりの新隊員さんたちもイベントに遊びに来ていて、何かとキラキラ輝いて眩しかった。
先進国の匂いがした。

彼らからみたら私たちはきっと超ベテラン先輩隊員なのだろうと思う。

先輩隊員たちと記念撮影。
先輩の貫禄!?
サフィ君の中身はこんな感じです。
自分たちでは気付かないけど、途上国の匂いも漂わせていることだろう。

私たちがケニアに来て初めて先輩隊員を見たとき激しくそう感じたように。


2011年10月18日火曜日

MauMau。

日常なのか非日常なのか、もはやもうどっちかわからない一日が今日も終わりを告げようとしている。

いつもかわいがってくれるPMTCT病棟のおばちゃんたちと
ひと仕事終えてチャイの時間。

同じ病院内の配属先事務所に顔を出すが、今日も誰もいない。
廊下に山積みされた無料コンドームの箱たち。
今回は中国からの贈り物。
午後はスーパー「NAIVAS(ナイバス)」本店に出向き、コンドーム販売コーナーに予防啓発ポスターの掲示依頼。
先週一人で行った際には宣伝費がかかるといわれたが、今回はエスタを連れて行った。
ケニアにおいて権力者の力は大変偉大であり、ケニア全土のナイバスへの掲示を相談していただけることになり、ニヤリ。

その後、エスタが美容院に髪のお直しに立ち寄る。
ここはエスタが数年前にストリートから保護した女の子たちが働いている美容院。

みんながんばっている。
お店に来ていた他のお客さんを見学
本当にオシャレなケニア人。
編みこんで、付け毛も縫いこんで
2~3時間かけて、2~3人でこってり作り上げます。
 その後、引き続きエスタが「年寄りに会う」ということで、ふらりと連れて行かれた民家の一角に30~40人のお年寄りが大集合。
この人たちは「MauMau」というグループの人たちだと教えてもらった。
結局、集会は全部キクユ語でさっぱりわからなかったが、最近このグループに何か上向きなことがあったのか、おじいちゃん、おばあちゃんたちは、エスタの言葉に大いにうなずき、笑い、真剣に耳を傾けていた。


その後にあった予定は、ここ最近続いている時期はずれの大雨が降り止まずに中止となり帰宅。

先程調べたら「MauMau」とは、英国植民地時代に独立闘争をおこなったキクユ族で組織された戦士たちの総称らしい。

歴史のことはさっぱりわからないけれど、スワヒリ語の自己紹介も無駄に元気にできたし、
ムズング(白人)といっても英国出身でなくてよかったかな。と、少しホッとした。

この青のスーツのじいさんは、話していて興奮が止まらなくなると
自分の左手の甲に唾を吹きつけるという行為をはさむ。
計5回は見たが、あれは何だったのだろう。

謎であった。

こんな、任地での日常。

あ、日常でしたね。




2011年10月13日木曜日

セカンドストーリー。

男には別れた妻がいた。

いつものように友人と近くのバーで飲んだくれていたその夜、

別れて以来、1年以上会っていない元妻と偶然再会した。

その日彼女を抱くつもりはなかったが、「朝まで一緒にいたい。」という彼女の誘いに乗り共に家路に着いた。

男には彼女との間につくった2人の子供がいるが、

彼女とのセックスでコンドームを使ったことは今まで一度もなかった。

帰って2人きりの部屋で、彼女が「それ、何つけてるの?」と男に聞いてきた。

指先にあった男の左胸には胸に刻印されるかのようにして貼られたシールがあった。

『GO VCT』と書いてある。

そういえばその夜、彼女と再会する数時間前に店でポスターを貼りに来ていた市議員とムズング(白人)に会ったことを男は思い出した。

それは「コンドームを使え!」だの「自分のステイタスを知れ!」だの言っていたムズングが力強く貼ってくれたシールだった。

このシールに込められているメッセージを男は復唱した。

結局その夜、男は彼女を抱かなかった。

その変わりに別れる間際には話せなかった色んなことを彼女と朝まで語り合った。


翌日、男は彼女と共に初めてVCTに行った。

HIV検査の結果、 ------ 男は〈陰性〉、彼女は〈陽性〉だった。


ムズングが俺を救ってくれたんだ。 ----- 男はそう思った。

すぐに会ってお礼を言いたかったが、どこにいるのか知らない。

男は、その夜ムズングと一緒にいた市議員の事務所に行きその出来事を話した。

泣きながら話す男の胸には、まだ『GO VCT』と書いたシールが貼ってあった。


検査の結果〈陽性〉だった元妻は、HIVの治療のため診療所に通い始めた。

そして男は同居している両親と叔母、そして息子と娘をまとめてHIV検査に連れて行った。

自分の大切な人々の人生を、今度は自分が守らなければと思ったのだ。

幸いなことに、彼らはみんな〈陰性〉だった。


You saved his life.

「あなたの行動が、彼の人生を救ったのよ。」

私がナイバシャにいなかった先週、こんなことがあったとエスタ(市議員)が教えてくれた。

ひと晩だけやった夜の活動で、『GO VCT』のシールを貼ったのは、ただ一人だけ。

あの男だ。

「ポスターが欲しい欲しい」とあまりにしつこかったので、やや切れ気味に胸にグリグリと食い込ませて貼ったシールだった。(過去ブログ「クラブ&バー巡り」参照、写真右の男性)

彼はこの先コンドームを必ず使うだろう。

そんな気がして、本当にうれしかった。

2011年10月11日火曜日

来た時よりも美しく。

『きれいなお姉さんは好きですか?』っていうCMが昔あった。

先月末に任期を終えて帰国した21年度2次隊の先輩たちにはオシャレで、きれいなお姉さんがとっても多かった。
と、記憶している。みんな年下だったけど。

その先輩の一人が、帰国時に余った新品のBBクリームをくれた。
試しにつけてみたそのカラーは、私にとってまぶしいほど白過ぎて、ハッとした。

「先生はノーメイク主義ですか?」
と、厚ぼったくカールした付けまつげの生徒に以前問われたことがある。

(主義っつーかなんつーか、生まれたままの姿主義っていうか超自然派っていうか。てか、なんでメイクあり前提?)と、思っていたが、社会人にもなってメイクをすることは当然のマナーなのだろう。

大学生になったら・・・、社会人になったら・・・、訓練所に入ったら・・・、
基礎メイクくらいは心がけたいものだ、オシャレに目覚めたいものだ、と毎度思ってこの歳になってしまった。

たまにある「ノーメイクで外にいけるなんて、逆にスゴイって。」という哀れみの言葉を完全に鵜呑みにして、続ノーメイク生活への原動力にしてきた。

しかし、その度に今まで周りから散々言われ続けた「○年後、すごく後悔することになるよ!!」の、
○年後がもうすぐそこまでやってきている。

今までケニアに行った際にしっかりメイクし始めようとは一度も思ってなかった。
せめて日焼け止めクリームくらいは塗らないと!と思っていたのも遠い昔の話、
日本の7~8倍といわれる紫外線を全身・顔面で受け止め続けている日常。

だってここはケニア。
水も毎日出ないし、周りはケニア人ばっかだし、美白は逆に目立つし、どんなダサい格好でいようが、髪型変だろうが気にされることもないし、少々におっ・・・・。


でも、帰国して日本で生活している際に、
「やっぱりね。どうりであの人、ケニアに2年間もいたからか~。」と、納得されるのはイヤなので。

『汚いおばさんはお嫌いですか?』とか言ってる場合でもないので。

内面も外面もしっかり磨かれている周りの隊員たちを見習って、帰国に向けて少しがんばろうと決意した先週だった。


来た時よりも美しく!!


2011年10月10日月曜日

エイズ陰謀説。

「現実にHIV/AIDSを完治させる薬が発明されたら、その発明者は暗殺されるのではないだろうか。」

「実は、もうとっくに出来てたりして。」

こんな話を以前ケニアの医者や語学の先生と話したことがある。

治療薬が出来たことに「喜ぶ人の数」と、「喜ばない人の数」、さてどっちが多いのだろうか、と。


エイズの起源は世界諸説あるが最も有名なのはチンバンジー説だろうか。

その中に「エイズ陰謀説」というものがある。

HIVの爆発的な感染拡大には人の手が加えられていたという説。

欧米の科学者が人口増加を防ぐためにアフリカ(黒人)にばら撒いた生物兵器としてのHIVウイルスだとか、

欧米の製薬会社が、高価な薬を売りつけるためにばら撒いたウイルスだとか。

「HIV感染しても、正しい治療と薬の服用を一生続けることで生きていくことが出来るエイズという病気」

ケニアだけでなく、世界のHIV感染者の3分の2がいるサブサハラアフリカの各国はその対策の全てを欧米や日本などの先進国からの援助で行っている。

HIV/AIDSとは「援助する側」と「援助される側」の上下関係を絶対的なものにし続ける道具なのかもしれない。

先日お亡くなりになったマータイさんもノーベル平和賞受賞の席上でエイズ陰謀説に賛成するコメントを残していた。

ケニアの医療現場で目の当たりにしている現状は、そういった考えを容易に想像させることも確か。

それだけアフリカのエイズ対策は、検査も治療も薬も予防も教育も援助資金なしでは回らないようになっている。

対策という名で、わざわざお金がかかる方法を指し示している気もする。

陽性者には無料のコンドームを渡すのではなく性行為禁止か、コンドーム購入かの選択肢を。

陽性の母親には、まず子供を作らないという選択肢を。


赴任当初から同期のエイズ対策隊員とよく話すこと。

・エイズは特別な病気なんだろうか。
・ただ周りが騒ぎ過ぎているだけでは?
・糖尿病や高血圧症と同じ慢性疾患と位置づければここまで騒ぐものでもないのでは?
・ケニアの人にとって、エイズってどんな位置づけなんだろうか?

・予防教育は絶対必要だと感じているが、その上で自らの意志で予防しない人、検査しない人、治療しない人たちは、いっそ放っておいてもいいのではないか。彼らは選択しているのだから。
・長い目で見れば、自然に任せて彼らに考える機会を作ってあげるほうが一番かも。


エイズの起源にしてもこういった話にしても、推測の域を出ないのだけど、エイズについてま~あれこれ考えます。



2011年10月8日土曜日

現状維持は退化なり。

NTC(福島県国内訓練所)を終了したときに、仲間が作ってくれた冊子に自分が書いた一言。

『現状維持は退化なり』

よく聞かれるが、「日本に早く帰りたい。」とも、「ケニアにもっといたい。」とも、どちらとも案外思わないもので

決められている任期を自分としてどのようにして全うするかという一点を考える日常が続いている。

しかし、ぬるま湯体質で、悪い意味でとっても要領がいい私のこと。

このまま今までと同じように活動していくことの気楽さに気付いている現在、

自分自身で緊張感や刺激のあることを仕掛けねば簡単に腐りきってしまう。

というか、もう既に腐敗し始めているのかもしれないとも思う。


私の場合、配属先からJICAにボランティアを要請した人物は
私がケニアに来る前にとっくに他の病院に異動している。

こういった場合、後任に引継ぎなどされていないのはケニアでは当たり前で、
私というボランティアが何のためにここに来ているのか職場の人はみんな知らない。

そのため、今までカウンターパートから「勝手に動き回るな」と言われたことはあれど、
配属先から指示を出されたことは一度もない。

今まで自分の衝動を頼りに色んな場所に足を運び、直感を頼りに人と繋がり、
気の赴くままに行動してきた。

そして、これらは協力隊にはよくある話。

『ん?それがどうしたよ!?』と、ここに来る前の私なら一蹴しているだろう。


そんな中でスタートした活動を振り返ってみると、明らかに失敗した数が少ない。

それは、挑戦した数が少ないということを意味する。

「うまくいく活動」が目的でないことは、頭では解っている。


クセになる前にこの退化を止める。



2011年10月1日土曜日

無料コンドーム配布。

エイズ対策隊員として普段の活動からコンドーム、コンドームと言いまくっているが、

コンドームなしの性交渉でHIV感染する確率は0.1~1%といわれている。

え!?たったそれだけ!!?と思った人も多いはず。

もちろん確率なのでその1%が何回目に訪れるかは誰にもわからないし、

その他の性感染症に罹患していたり、

接触する性器(陰茎・膣・肛門・口腔など)の組合せによってその確率は増減する。


しかし、この統計をもとに

HIVウイルスをセックスによって感染拡大させるためにはどうすればいいのか?

と逆に考えたとき、

100~1000回セックスしてたった1回しか感染しないHIVウイルスということは、

3日に1回やっても1年で100回、そのペースで10年間継続してもようやく1000回にしかならず、

それで少なく見積もって1回の感染、多く見積もって10回の感染にしかならないとなると、


絶対条件としてまずは無防備のままとにかくヤりまくること、何度も何度もセックスして

パートナーは1人に絞らず出来るだけ多くの人数ととにかく回数をこなして、


さらに感染する確率を上げるためには他の性感染症などを併発しておくことがより効果的となる。


そう考えると、他人にHIVを感染させるのってけっこう大変だなぁ。と思うのだが、


それをこなせる人々が確実にいすぎるおかげで今日も確実にHIVの感染は拡大している。

アッパレ人類・・・。


タウンやマタツステージで予防啓発活動をしていると、

必ずといっていいほど『無料コンドームはないのか?』

『配布してくれよ!じゃないと、使わないぞ!』とまで言われる。

最初に無料コンドームの配布やりはじめた奴、誰やねん。と、思う。

自分の性行為の安全性までも援助に頼るのか。と、思う。


とりあえず「ちゃんと自分で買いなさいよ。」と毎回返事をしている。


無料のコンドームを配布するよりも自分の意志でコンドームを買わせることのほうが、

きっかけを自分が作っているという点で実際に使用する率は上がると思う。


昨日紹介した夫婦のように陽性となってから初めて大事なことに気付き、

後悔し、苦しんでいる人の存在を知ってもらいたいものだ。

そういいながらも、昨日の夫婦は、診察の帰り際に無料コンドーム1箱100個入りを手渡されていたわけで・・・、

そこには施設からの“泣いているから、特別に1箱サービスしてあげるよ感”が漂っていて、

「てか、どないやねん!」と、やっぱりわけがわからなくなった。