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2010年12月2日木曜日

世界エイズデー。

今日、12月1日は世界エイズデー。

昨日、急に決まった行き先、刑務所に行ってきた。

病院で月1回活動しているユースグループ(HIVについてサポートする青年団)の若者とナースの約20名程と共に、毎日、服役囚たちが運ばれてくる大きなバスに乗せてもらって刑務所に向かった。


日本の刑務所には行ったことがない。

数日前に映画「ショーシャンクの空に」で見た刑務所が、
私の知っている刑務所の全てといっても過言ではない。

そして、行ってみたらそのイメージ通りの刑務所だった。

ケニアで2番目の規模となる大きな刑務所の敷地には、病院で毎日見ている縦じまの囚人服を着て与えられた仕事を黙々とこなしている多くの服役囚がいた。
殺人、レイプ、強盗など、ありとあらゆる犯罪を犯した人々がここに収容されている。

彼らによって庭の手入れも非常に念入りにされていて、きれいなグランドでは線審のような位置取りで立っている刑務官に見守られてサッカーを楽しんでいる服役囚たちもいて驚いた。

色んなものをマジマジと観察しながら、いよいよ今日のイベントを行う野外広場に続く最後のゲートを抜けた。そこでは約2,000名以上は軽く超えている服役囚たちが、私たちの上がるステージを180度取り囲んで大歓声で迎えてくれた。

全員、男。

この迫力は満点で、マジで、恐ろしかった。


その後、服役囚の代表グループが爆音の中で歌とダンスを披露。

その完成度、超高し。
どのように練習を重ねて、この日を迎えたのだろうか・・・。

整った音響設備を操作しているのも、ドラムやベースを弾いているのも、流暢に司会進行をしているのも、全て収容されている服役囚である。

大人の服役囚たちはまるで学校にいる学生のような雰囲気で、刑務官たちも学園祭で張り切る学生たちを温かく見守る教師のような雰囲気で協力している。

ダンスは飛び入り参加もOKで、一緒に行ったユースグループのメンバーと多くの囚人が次々に入り乱れて踊りまくる光景は、何とも言葉にし難いものだった。

続くドラマ(演劇)では、HIV/AIDSの感染から発覚、治療までのストーリーを女装をした人も含めて演じる。
とにかく私という日本人1名を除く全てのケニア人が、そのドラマに何度も爆笑していた。

てっきり、一緒に行ったユースグループが様々な催し物を披露するものだと思い込んでいたのに2時間以上は服役囚たちの様々な催しが続いた後、ようやくユースグループの番が回ってきた。

行きのバスの中からみんなを爆笑させて、ユニークなダンスも度々披露して、みんなの人気者のバイロンのポエムから始まった。

そして、これがまたすごかった。
ポエムというより演説のようで、服役囚の中を歩き回ってはHIVに関しての訴え、ケニアの未来に対しての希望、ここにいるみんなの平和を熱く30分間ほど絶叫していた。
何度も拍手が沸き起こる中で終了し、バイロンに握手を求める人が殺到していた。

その後も再びドラマが始まったが、土砂降りの雨に見舞われてしばらくの間待ってみるものの結局止まずに終了。その間、小雨になるたびに、またもやみんなが雨の中で踊りだす光景は異国にいる実感を十分に味合わせてくれた。

非常に、刺激的な一日だった。


映画「ショーシャンクの空に」で、40年の服役中のレッドがいった言葉を思い出す。

「最初はあの高い塀を憎む。
 しかし、何十年もこの中にいると今度はあの高い塀に頼る。
 あの高い塀が俺たちを守っていてくれるとさえ思うようになる。
 外の世界には俺の居場所はない。
 塀の中でこそ、俺は俺として存在出来るんだ。」

多分、こんなようなことを言っていた。



今日を振り返って感じたこと。

塀の中にも、確かに、ひとつの社会が存在していた。

ダンスの上手い人、歌の上手い人、面白い人、・・・・。

ひとつの社会の中で、皆に存在を認められて、自由で輝いているようにさえ見えた人たちがいた。

この人たちの過去に何があったのかは知らない。

この人たちによって、どれだけの人が犠牲になったのかも知らない。

塀の中で規制をかけられてこそ、自己のコントロールができる人々。


活き活きと見えたここでの生活が、塀に頼らない人生に繋がっているものと信じたい。

被害者や、遺族の立場で、今日の光景を見たら、どんな感想をもっただろうか。

言葉がわからないと、余計に色々なことが頭をよぎる。


HIVをテーマにしたイベントで、また多くのケニア人のエネルギーに触れることができた。

来年はどんなエイズデーにしようか。と今から構想を練りたいと思う。




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