2010年11月30日火曜日

グウタラ。

昨日立て続けにブログを更新し、

しかもその内容が「遺体安置所」・「宗教」・「死」の3本立てということで

一体どこまで気の滅入った日曜を過ごしているんだ?と、

もしかしたら、心配してくださった皆様、どうもありがとうございます。


実は「宗教」と「死」については、随分前から書き溜めていた内容だったのですが、

更新するタイミングがずっと見つからないまま、

今回「遺体安置所」を見に行った際に、一挙に公開する運びとなりました。


日本にいるときから考え続けていたことでもあるので、

また何か変化があったらその都度、書き留めていこうと思います。


さて、この週末は最近調子が悪かったネットがほとんど繋がらず、ギターを弾いても2日間は持たないし、同期隊員を招待するために掃除も洗濯もしたので掃除と洗濯をする必要もないし、

ということで・・・

同期隊員がお土産に持ってきてくれたDVDデータを見続ける大会を自宅で開催しました。

参加者はもちろん1人。

今までDVDを見ていなかったことが嘘のように、とりつかれたように2日間、

まずはお笑いのDVD「ガキの使い」、「アメトーク」、「すべらない話」を何本も見続け、

昨日の夕方からは久しぶりの停電に見舞われた真っ暗闇の中で

念願の「ショーシャンクの空に」のDVDを鑑賞するという流れで、

希望とあきらめないことの強さをしみじみと感じている間に

気がついたら週末が長い暗闇と共に終わっていました。


久しぶりにグウタラし過ぎた週末。


今週は、世界エイズデー「12月1日」があります。


うちのCCC(HIV/AIDS包括的ケアセンター)では毎年

このエイズデーには、特に何もやらないということです。

ちょっとビックリしました。


その日は、ここにいてもしょうがないということで、

来年のために、今日明日中に、エイズデーに身を置く場所を決めたいと思っています。



2010年11月28日日曜日

死。

「死」について、初めて意識したのは小学校3年生の頃だったとはっきり記憶している。
それほど衝撃的で、しばらく怯え続けてしまう出来事だったからだ。

そのきっかけは、校長先生が読んでくれた絵本『地獄』

メルヘンな絵本とは大きくかけ離れていて、登場人物の五平という男が地獄で見てきた恐ろしさについて語り尽くす内容で、
話の内容も怖かったが、それ以上に絵巻物の様な不気味なタッチで描かれた
真っ赤な地獄と泣き叫ぶ人々の絵がとにかく恐ろしかった。

「地獄の恐ろしいところは、死ねないことである」
というようなことも書かれていて、
いつまでも石を積み上げては鬼に壊されている子供の絵もあった。



誰もが一度は考える、
死んだら、どうなるんだろう。
なんで死ぬのに、生まれたんだろう。

ということを、当時3年生の私は2週間くらいは毎晩布団の中で、なかなか寝付けずに怯えながら考えていた。もう、それはトラウマのように。


それとは別の話で、中学校1年の時に教室で「夢」について原稿用紙に書いてみようという機会があった。「将来なりたい職業」だったら、小学校の頃から思っていた「教師」と迷わず書いただろうけど、その時は自分の力でどうにも出来ないものという解釈で考えた結果、
「自分の寿命をまっとうして、最後は布団の中で眠るように安らかに死ぬこと。」と書いた。


おそらく小学3年生のその時から、そういった類の話に対して無意識にアンテナを張り続けてきたからだろうけど、その後、高校、大学、就職してからも、幾度となくそういった話を、他の誰かと話す機会に出会ってきた。

ここにいて度々感じるが、そういうことが繋がり続けて今、ここに自分がいる気がしてならない。



「生」や「死」についてとことん考える機会を与えてくれるアフリカの病院に。




先週、パソコンのデータを整理している際に昨年保健の授業に使用したデータを発見した。

「壮年・老年期の健康」という単元を教える際に使用した『死ぬときに後悔すること25』という本を教材として紹介したものである。
 高校生の彼らに、壮年期の健康課題や生きがいについて話したところでなかなか興味もイメージもわかないし、自分がさほど年を取っていないので、ありきたりの言葉で説明しても伝わらない。
ならば、壮年・老年期の人たちが「死」に直面したときに感じることをそのまま伝えて、その逆の「生」や「生きがい」について共に考えよう。という狙いをもっていた。


(以下、引用)

『死ぬときに後悔すること25』 (大津秀一著:緩和医療医)
1000人の死を見届けた終末期医療の専門家が書いた 

1. 健康を大切にしなかったこと 
2. たばこをやめなかったこと 
3. 生前の意思を示さなかったこと 
4. 治療の意味を見失ってしまったこと 
5. 自分のやりたいことをやらなかったこと 
6. 夢をかなえられなかったこと 
7. 悪事に手を染めたこと 
8. 感情に振り回された一生を過ごしたこと 
9. 他人に優しくなれなかったこと 
10. 自分が一番と信じて疑わなかったこと 
11. 遺産をどうするかを決めなかったこと 
12. 自分の葬儀を考えなかったこと 
13. 故郷に帰らなかったこと 
14. 美味しいものを食べておかなかったこと 
15. 仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと 
16. 行きたい場所に旅行しなかったこと 
17. 会いたい人に会っておかなかったこと 
18. 記憶に残る恋愛をしなかったこと 
19. 結婚をしなかったこと 
20. 子供を育てなかったこと 
21. 子供を結婚させなかったこと 
22. 自分の生きた証を残さなかったこと 
23. 生と死の問題を乗り越えられなかったこと 
24. 神仏の教えをしらなかったこと 
25. 愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと 

(以上、引用おわり)



いま、改めて読んでみると、日本人ならではの項目がほとんどだと感じる。

そして、ケニア人だったら、絶対こんな後悔は出てこないだろうなぁ。と感じる項目もある。


ケニア人は、死に直面した際にどんな後悔がよぎるのだろう。








何にしても、後悔のない人生を送りたい。




人生を振り返った時に、微笑んでしまうような人生を、


「自分の寿命をまっとうして、最後は布団の中で眠るように安らかに死ぬこと。」





宗教。

“いよいよ本格的な「鬱の時代」がやってきました。”

という一文で始まる「歎異抄の謎」(五木寛之著)をケニアにきて何度か読み返している。
昨年のクリスマスに発行されたこの本は同僚の先生が貸してくださったもので、
返さずに(借りパク!?)なんとなくケニアに持ってきてしまった、唯一の本。

読めば読むほど引き込まれる本。
仏教って、どんな宗教だったっけ?と思うたびに、読み返している。
それほど、仏教とは何かと問われることが多い日常。

この時点で「私は仏教徒です」とはいえないのかも知れないが、
これでも小学校の頃から毎週お寺の日曜学校に通ってお経を読み、お寺巡りも好きで、
親鸞さんや良寛さんや道元さんたちに魅力を感じ一人で永平寺に座禅修行にいった経験もある。

なので、日本人は大部分が無宗教である。という話を最初に聞いたとき、少なからず衝撃を受けた。
(ガイドブックや電子辞書には日本人の大部分が無宗教であることについての英訳例が記載されている)
新年には神社で一年を祈祷し、
神社で子供の成長を祝い、
神前やキリストの前で一生の愛を誓い、
困難に直面した際には寺や神社で祈願し、
葬式のときは仏壇の前でお経を読み、
盆には墓参りをし、等々・・・。


毎年、割と多くの国民が何の疑いもなく繰り返しているのに、それでも大部分が無宗教に属していると説明される日本という国は、他の国から見れば間違いなく奇妙な国である。

日本にいて、宗教、信者、教祖、信仰、集会、崇拝ときいて浮かぶイメージといえば、
地下鉄サリン?、詐欺?、怖い?、危険?、といったところだろうか・・・。


4ヶ月前に初めて任地訪問で職場へ来たときの話。

たった4日間の滞在中に、初対面で多くの人から「宗教は何を信じているのか」と質問された。
今でも変わらないが、ケニアの人たちにとって「私という人間が何を信仰している人間なのか」ということは、とても重要な位置を占めることのようだ。

ケニア人に対して「日曜日、何するの?」という質問は、もはや愚問である。
答えは必ず「教会にいってお祈りする。」からだ。それ以外にない。
そして彼らは日曜日だけでなく、毎日神に祈りをささげる。
毎週計3~4時間、自分として冷静になれる時間のある人生とは自分のそれとどう違うのだろう。

ケニアの宗教は40%がプロテスタント、約30%がカトリックで、その他にはイスラム教原始宗教などがある。
人によってはアルコールを一切飲まない人もいる。
それは、飲みたいけど我慢している。というような次元ではなく
飲んだこともないし、飲みたいとったことがないということらしい。


その理由はただひとつ「神を信じているから」

ちなみに以前紹介した中年のおっちゃんの医者2人も、
仕事から帰ったらビールではなくソーダを飲むらしい。まるで小学生の夏休みみたい。

そして、「リッチな日本はうらやましいなぁ。」という話から、
日本が抱えている問題について話が及び
「日本ではもう10年以上、毎年3万人以上が自殺している現状がある。」
という私の説明に、

「そんな話は絶対おかしい。
 彼らはなぜブッダに助けを求めないんだ?
 そして、ブッダもなぜ彼らを救わないんだ?」

と彼らが憤慨したときに、
「へ~、そこで神様がでてくるんや。」という驚きと共に、
私たちとの神の存在や位置づけの明らかな違いを知り、
「宗教を信仰する」ということの意味が少しわかったような気がした。

病院に、いつも本当に笑顔が素敵なナースがいる。
「ママはいつも素敵な笑顔ね。最高の笑顔だわ。」といった私に、
「私が笑顔でいられるのは全て神のおかげだから、神には毎日、感謝しているの。
 私には神がついているから、私の人生は幸せよ!」と喜んで答えるママ。

何の疑いもなく信じられるものが、人間以外にあるということ。
絶対に裏切らない、大きな存在があるということ。
これは、結構、いいことなのかもしれない。
というか、楽なことかもしれない。



日本で自ら命を絶たざるを得なかった毎年3万人の人々が、信仰する宗教を持っていたとしたら、
救われた人々はどれくらいいたのだろう。

少なくとも、その矛先を自分に当てずに済んだかもしれない。

それでもやっぱり、いざというときに頼れるのが人間でいて欲しいと私は思う。


しかし、自殺、家庭内殺人、無差別殺人、引きこもり、孤独死、無縁死など、


今の日本には人間の力や医療の力を超える絶対的な「よりどころ」が必要な場面が


数えきれない程あるような気もしている。





遺体安置所。

金曜日に同期隊員3人が着てくれた際、病院内を案内した。
病院の裏ゲートに一番近い場所に、Mortuary(遺体安置所)がある。

病院内で亡くなった人だけでなく、ナイバシャの町内で亡くなった人の遺体が一時保存される場所。遺体はその後、棺桶に入れられて各家の近くの丘の上の決められた場所に土葬される。

裏ゲートから出入りすることもあるので、その存在はよく知っていた。
とにかく、今まで嗅いだことのないニオイが、毎回鼻を強く刺激してくるからである。

興味はあった。

なんとなく中を見てみたい気もしていたが、遺族が外で待っている時もあるし、幼い時に祖父のお葬式で遺体を見たことがあるが、知らない人の遺体を積極的に見に行きたいわけではないし、何より臭いが強烈だし・・・。

ということで今回、「同期隊員が3人も来てくれたんだし」という勢いを利用して見に行った。


4人の先頭に立ち、その小さい施設の中に入ってみると、よく知っているおっちゃんが作業していた。一気に安堵し、おっちゃんといつも通りの挨拶を元気に交わし、ズンズンと中に入っていった。

おっちゃんの顔しか見ていない、私。

そして、今日は日本の友達を3人も連れてきたんだよ~!と、後ろの3人を振り返ったら、みんな思ったよりも後ろにいて、何ともいえない顔をしていた。

というより、3人の顔に、「無理。」と書いてあった。

再び、前方を見る。

棚状の冷暗器の中にギュウギュウに押し込まれている遺体が目に飛び込んできた。

重なり方もバラバラで、顔がこっちを向いているものもある。

おっちゃんは十分に冷却装置の働いてないその棚に、遺体を詰め込む作業をしていた。

もっと奥の小さい部屋には、なぜか床のど真ん中に片足だけがポツンと置かれていた。

「確かに、無理だ。」

すぐに外に出てしまった。


たくさんの花やドライアイスに囲まれて、キレイな顔をしていた祖父の遺体。

との、ビジュアルの違い。


以前、マサイ族に嫁入りした永松さんにお会いした際に聞いた話では、マサイ族では生きている間にどれだけ名誉な役職についていた人でも、死が近づくと家の外に置かれて淡々と死を迎えて「ただの死んだ人」になって土葬されるということだった。


なぜ、こんな話になったのかというと、マサイの人は名残り惜しむということがない。
という話の延長から。


友人や恋人が遊びに来て立ち去るときに、見えなくなるまで手を振ったり、時よりこっちを振り返ってみたり、ということが皆無なのだそうだ。
終わったものとして、そこに感情をあれこれ乗せるということがない。


死についても同じく。


共に過ごしている他の動物と同様に、人間にとっても生・老・死は抵抗できないものだということを日常の中で感じている。
ライオンが老いていくことを嘆いたり、仲間の死を名残り惜しまないように。
あきらめではなく、自然の営みを受け入れている。

それは、日本に住んでいる私たちよりも確かに。



うちの病院の設備が十分に整っていないということもあるが、強い消毒液のニオイをかき消すくらいの死臭が、死ぬということは「もう、生きていない状態」なんだということを知らしめてくれた。

生まれた瞬間に、いずれは死ぬことも決まる。

生きている以上、いずれ私も死ぬ。

遺体になった人々と同じように。


では、

今を、生きているものとして。

今を、生きられるものとして。



出来ることは、いっぱいあるな。

しかも、今までとは違うことに気付ける、こんなに恵まれた環境で。



今日を生きられなかった人々のご冥福をお祈りすると共に、

様々なことを考えられたことに感謝して。





2010年11月27日土曜日

ご案内。



同期隊員3人が私の任地ナイバシャに遊びにきてくれた。

一緒にランチを食べて、病院を見学、近所を散歩。
帰宅後は夜中までひたすら飲んでしゃべって、就寝。

誰の口からも尽きることのない、「ここが変だよケニア人」の話。



私の住んでいるナイバシャの住所は「LAKE VIEW」

毎日こんな風景を、ケニアで見ながら過ごしている。


今回は同期隊員が撮影してくれた、私の自慢の近所の風景&宿泊施設をご案内。




*はるばる日本から来てくださる奇特な方、任国外旅行をケニアでお考えの協力隊員、

  ご予約はお早めに私まで。
  
  皆さんのお越しを心よりお待ちしています。


空は見上げなくても、目線の先に広がっている
日本の空ともつながっている、この空

家から5分の場所にあるロッジ
ルームサービス3食付・シングル4300円
ルームサービス3食付・ファミリースイート10950円



プールなんかもあったりして・・・
仕事の行き帰りは、いつもナイバシャ湖を一望


喜んだり、落ち込んだり、


どんな心境も


毎日穏やかに受け止めてくれるこの景色

2010年11月26日金曜日

ライバル。

先週、ナイバシャ県内にある約60の医療機関を監督している私のCP(カウンターパート)に、
「県下で一番のHIV/AIDSケアサービスを行っているところはどの施設ですか?」
と聞いたところ、
「それはAIC Kijabe Hospitalよ!HIVだけでなく、全てのケアが一番よ!」
と、即答の上に絶賛していただいた。
あまりの即答ぶりに、その施設がうちの県立病院のCCCではないという事実をCPも認めているのかぁ。という哀しい現実を受け止めながら、ならば行くべし!ということで早速その施設を見学にいってきた。

町の中心からマタツに乗ること15分、田舎の中にポツンとある施設を目指して歩くこと20分。
到着してみると、とにかく衝撃の連続。
シ・セ・ツ・ガ・キ・レ・イ・ス・ギ・ル。
コ・コ・ハ・ナ・イ・バ・シ・ャ・カ・・・。

受付も廊下も、まるで日本の病院そのものの清潔感。
広々とした待合室にテレビが備え付けてあり、どの部屋にも丈夫な屋根と壁とドアがあった。
今日はHIV患者に関わる業務を重点的に見るということで、まずは受付の部屋に入る。
カルテはラベルが貼られてきれいに整理されているし、患者に対応する笑顔も態度も、データ管理システムも文句の言いようがない。私が2週間かけて集めたデフォルターの情報も、そのデータ管理システムを使えばボタンひとつで終了してしまう作業だった。その日ごとに来院する予定の患者をリストアップして、来なかったその日に即トレーシング(追跡)が開始されるシステムも既に確立されている。
欲しているものが、形になって目の前にあるという感覚だった。

様々なことに対して、自分でも驚くほどあふれ出る質問の数。とにかく自分の病院を改善できる部分はないだろうかと、情報やアイデアを欲している。

聞いてみると、このデータ管理システムはアメリカの団体が作ったとのこと。
この病院のほかにも多くの病院で既に導入されているソフトらしい。
「こんな便利なソフト、うちの県立病院にはないけど、なぜ?」
と不思議がる私に、担当者がひとこと

「ケニア政府下(公立)の病院だからよ。」

との答えだった。
お役所か・・・。

確かにここの病院は、病院名にもあるとおり「AIC=Africa Inland Church」アフリカのキリスト教団を母体とする団体の大きな支援があって成り立っている病院である。そして、それに加えてアメリカの大きな支援。
先進国の技術や体制がそのままの形で導入されている病院。
無駄がなく、単純に、素晴らしかった。

何よりキレイに整備されている環境の中で、自分たちの病院に誇りを持ち、プライドを持って働いている多くのケニア人に会えたことが一番の収穫だった。

環境が作る人格というのは、やはりある。

「チャイの時間はとりますか?」「ランチは何時から何時までですか?」
こういった質問もした。
「チャイは合間にとりますが、ランチは摂りません。」
という答えだった。

この病院を、勝手にライバルと位置づけた。

帰りのマタツであれこれ考えながら、私の勤務先ナイバシャ県立病院にもどる。

そこには、ソリティアをやる人々と、楽しくおしゃべりする人々、待っている患者、
そしてケニア政府の公衆衛生省から出されているドデカイ月間帳面(5種類程ある)に本日分の患者の名前や性別や年齢やNoや生年月日や各帳面別のデータをPC画面上からせっせと手書きで写している(この意味の無い作業・・・)受付1名がいるという、いつと変わらない風景があった。

やっぱり、ここが一番落ち着くな~~~~~。


ってなるわけ、ないよね。


とりあえず、今度は施設の壁の色でも変えてみるか。

と、今日は帰りにペンキの値段を確認してから家に帰った。


2010年11月24日水曜日

勤労感謝。

日本にいた時から使用している手帳を使っている。

11月23日の今日は「勤労感謝の日」となっている。
「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう日」(1948年)らしい。

日本国民には、もっと休んでほしい。
しっかり休息をとって欲しい。


そうはいっても、ゆっくり出来ないのが日本の現実。
休んでいいといわれても、心身共に休みきれないのが日本人。


ケニアにはこのような休日はないけど、見方によっては毎日休日のようである。


ケニア国民には、もっと働いて欲しい。
しっかり業務をこなして欲しい。


そうはいっても、勤勉に出来ないのがケニアの現実。
仕事しなさいといわれても、心身共に徹しきれないのがケニア人。


ケニア人に対して「もっと仕事しようよ。」っていいたくなるとき、
日本人に対して「もっと休みなさい。」って強制するみたいなもんかな。
と考えて、「なら無理か。」と思ってしまう。


(全員が全員そうでないことは、日本もケニアも一緒)


存在する、大きな感覚の違い。


言葉では説明できないが、
こっちが理解出来ない分、あっちにも理解し難いことなんだろう。


日本では、すべきことが大量にあった環境に感謝しつつも、
有給さえ消化しきれなかった公務員にちゃんと戻れるか心配・・・。



2010年11月20日土曜日

だるま。

だるまのようにぐでんぐでんに転がされて

「七転八倒」で終わるか。

「七転八起」で終わるか。

一寸先がわからない一日の連続だった一週間。

月曜日。デフォルター患者リストのデータ整理。
どのようなフォーマットで、どのようにソートして、何を書き込めるようにしておくと、誰にとっても今後活用しやすくなるのかをPCの前でひたすら考えて作業した。あれこれ想定して手を加えていく作業は、学校にいたときからとにかく好きである。しかも、今まで存在していなかったものとなれば、とても楽しい作業だった。

火曜日。今後に向けての患者データ管理のシステム改善について、あれこれつたない英語とスワヒリで代表ナースに提案している私の意見を汲み取って、周りの同僚たちが代弁して私の伝えたい内容を代表に説明してくれた。これは、もう言葉を越えた瞬間で、本当にうれしかった。

水曜日。ついにリストのプリントアウト。
対象を1年以内の患者に絞り、真っ先にセンターの代表ナースに渡した。なんだかんだで、とにかく完成を待ちわびてくれていたらしい。私が残った作業をしている間に、「MIHARUがコレを作ったのよ!」と、色んな人に完成リストを見せに行ったみたいで、事務所から一歩出ると多くの人から「グッジョブ!」を越えた「エクセレント!!」という褒め言葉をいただいた。
これももう、素直にうれしかった。

木曜日。久々に血圧測定の補助。
同時に進めていたポスター制作のスワヒリ訳を知り合った翻訳家が完成させて持って来てくれた。

金曜日。
朝一番にMIHARUも来るようにと、近くの教会で地域のHIVケア活動をする人たちとの会議に連れて行かれた。いってみると、そこには100~120人程の人々が集まっていた。約1時間かけて全員が自己紹介。されてもいない期待に応えようとしすぎるあまりに、いつも大嫌いな自己紹介であるが、スワヒリ語というだけでハードルが下がり、驚くほど緊張せずにこなす事ができた。

「次は、皆さんお待ちかね中国人の彼女の番です!」
と話したこともない司会者に紹介されつつ・・・

「レディース&ジェントルメン!ご機嫌はいかが!?私は、ミハル・ワンジコ(この地域に多い名前)といいます。私のことは、MIHARUと呼んでください。せ~ので呼んでみましょう。なかなかいい感じですよ皆さん。私はJICAのボランティアでエイズ対策隊員です。中国人ではなく日本人です。この近くの県立病院で2年間働きます。動物の肉が最高に好きです。皆さんにお会いできてうれしいです。どうも、ご清聴ありがとうございました。」とあいさつが終了。

片言のスワヒリ語は大ウケで、自分で言うのもなんだが狙ったところで笑いもしっかりとり、最後は大きな拍手までいただいた。今までなかった質問もいきなり飛び出し、お決まりの「子供はいるのか?」と「結婚しているのか?」を全員の前で聞かれた。エイズと全く関係のない事で「なんのこっちゃ。」と思いながらも、力強く「Bado!!(まだ!!)」と答えたら、これ以上ない大歓声が上がった。

そして、この会議のためにリストを作ってきたのかと思ってしまう程とてもタイムリーに、一緒に行ったナースが私の作ったリストを手に、全体に対して現在のデフォルターの状況と協力を仰いだ。
また「このリストをまとめたMIHARUに拍手を!」と、私のことを改めて紹介してくれた。
その時のナースの誇らしげな顔を見たとき、本当にやってよかったっ!!と心から思った。
そして、病院に帰ると、本当にいつも忙しそうなカウンターパートが1人で事務所にいた。たわいもない話から、モデル病院の見学へのアポイントまでとってもらい、とにかく楽しい1時間だった。

そして、今、帰ってきてから久々のビールを飲んでいる。


・・・・、大変よい1週間だとお思いでしょう。

以上が、今週のだるまの「起」の部分だけを全て集めたものです。



いや~~~~~、本当に、この裏に数え切れないほどの「倒」があった今週。
大きいものから小さいものまで、倒、、とうっ・・・・・。


その中で、ある打開策を習得した1週間。
間単に言うと「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」作戦。

ケニア人と約束を交わすときは、もう「明日」となった時点で即あきらめる。

彼らは全くやる気がないのではなく、やる気がある時とない時の差がありすぎるのである。
どれ程の差かというと「551の豚マンがある時とない時のナルミちゃん」くらい差があると思っていただければいい。(関西地方限定)

なので、どんな些細な事でも「明日だったら・・・。」といわれた時点で、他にも頼れそうなところに迷わずお願いに行く。日本と違って、先に頼んだ人と、後に頼んだ人同志がバッティングする心配はない。こちらから、「昨日のあの件だけどね・・・」と持ち掛けない限り、それらは全くなかった事として過ぎていく。
内容によっては、頼みにいく人の役職なども考慮する必要があるが、とにかく今まで交流のある人、手当たり次第でいい。どの人が「今日の今、その瞬間」やる気のある状態なのか、聞いてみないと分らないからだ。やる気があるというよりも、「やる気がなくはない状態」という方が、しっくりくるかもしれない。

その「やる気がなくはない状態」に当たりさえすれば、その場ですぐに片付くことが多い。
それはもう、本当にあっけないほどに。

例を出せば、水曜日のプリントアウトですら最初、一番頼りにしているカウンターパートに「経費がないから、14枚も一度に印刷できないわ。来月に経費が下りてきたらね。」といわれてしまった所から始まっている。
正直、これにはかなりヘコんだ。
既に印刷された他の多くの書類に囲まれながら「重要なはずのこのデータを?なぜ??」と、もう本当に納得がいかなかったが、すぐに切り替えて違う人、違う部署、違うプリンターを手当たり次第探して、6度目のトライで何とかプリントアウトにこぎつけた。
そして、そこではいとも簡単に14枚の4部分に当たる56枚の印刷に成功した。

いつも、心がけているのは出来る限り「起」の状態で家に帰ること。
ヘコんだままいても何も始まらないし、「倒」のまま家に帰って夜を過ごしたくないものある。

今回の印刷に関しては、自分で金を払ってすることも出来るが、それは自己完結で、簡単で、一度やってしまうと最後までやり続ける事になる。

とにかくケニア人の誰かを頼って、やってもらった後の、苦労した末の感動も含めた感謝の気持ちを全力で相手に伝えることが、次に繋がる気がしてる。

日本で私が魅力を感じた人物は、周りを巻き込むのが得意で「あの人に頼まれると断れないよねぇ。」と、理由なしでみんながなぜか協力したくなる人物で、気がつくと周りにいつから一緒になったかもわからない同志がいっぱいいて、何かを達成したときに大勢で笑える人物だという共通点を持っていたように思う。

ケニアで同志を作ること。

ケニア人の同志を作ること。

に繋がるものにしたい。

来週は、直接リストに載っている患者に連絡をとってくれるCHW(コミュニティーヘルスワーカー)の会議に参加する予定。

今週末は、家でのんびりしたい。

非常に長くなってしまいましたが、読んでくださりありがとう。

2010年11月19日金曜日

18歳。

本日は、18歳に間違われたことをご報告します。
最年少記録の更新です。

まぁ、こちらからしてもケニア人の年齢が見当つかないこともあるので、
あちらからしても見当つかないのは十分わかる。

しかし、18歳とは・・・、去年、私が担任していた生徒たちの年齢ではないか。
同じ制服を着ている自分を想像するとやはりありえない。
そして、わざわざ想像する必要はない。

この間、盗難にあった際に非常~にお世話になった男子大学生にも

「若さを保つ秘訣を教えてください。」とメールで質問され

「わたしゃ、森光子か。」と、つっこんでしまった。

そういえば金さん銀さんも、毎年聞かれていたこの質問。

若さの秘訣とは、基本的に若くない人に向けて発せられる質問である。

随分はやくに言われてしまった。

他人からの褒め言葉を素直に聞き入れられないのが30歳なのかもしれない。


そうはいっても、大学を卒業した頃から早く30歳になりたかったタチである。
多くの経験を積んで、安定感も華もある30歳に早くなってみたかった。
なってみると、全く変わっていない私がいるが・・・。

なので、ケニアで年齢を聞かれることは滅多にないのだが、いざ聞かれた時には
『何歳に見えるでしょう?』という、飲み会でありがちなプチクイズ大会は開催せず、

間髪入れずに「30歳だ!」と即答する。

そうすると大抵のケニア人はのけぞる。それほど衝撃力のある私の年齢。

そして、次がお決まりの
「子供は何人いるんだ?」という質問。

「結婚してないから、子供はいないよ。」
と答えるとどうなるか。

MIHARU!どうかしてるぞ!というニュアンスを十分含みながら、

「どうしたんだ!?なぜなんだ!?」と、またまた超驚くケニア人。

「どうもこうもない。してないったら、してないんだよ。
事件でもなんでもなく、30年間、割と真面目に生きてきましたが、何か?」

中には、オーマイゴッド!!
のように使用する「ガ~イ、ガ~イ!」を連発して、天を仰ぐ人までいる始末。

「おいっ、私の人生を過ちとして神に救いを求めるな!私は自分で決める!」

などと思いながらも、日本では全然珍しいことではなく、平均初婚年齢は今や29歳に差し掛かっているんだよ。ということや、結婚するつもりはあるし、むしろここまでは予定通りなんだよ。と、自分の結婚観を含めての人生プランまでも熱く語ってあげる。

自分の人生に理想を持ちすぎて理屈っぽく語ってしまうのが30歳なのかもしれない。


そうすると、
「ケニア人の男はいいよ。強くて、頼れる。ここで早くケニア人の旦那を見つけなさい。」
と、これも必ず決まって言われる。

今やケニアで一夫多妻制が残っているのは少数の民族だけらしいが、その民族の中にはなんと26人もの妻を持つ男が存在するらしい。どうなってんだか。
極端な例ではあるが、26人のうち最初でも真ん中でも最後でも、どの辺でも嫌だ。

夫婦になり家族をつくることに関しては日本の男女よりよっぽど長けていそうなケニア人。

日本に帰った後のために、その極意を伝授していただきたい気もするが、こればかりは適当なこといってるとやっかいな事態になることも予想されるので、

「日本語が話せる人がいいし、浮気性のケニア男性は結構です。」


と、きっぱりと即答している。


この流れを、帰国まであと何セット繰り返すのだろうか・・・。

しかし、万国共通で、こういう類の話は間違いなく盛り上がる話題であることは確か。



2010年11月18日木曜日

見たい。

1人暮らしに向けて隊員から大量の映画のデータをもらった。

ここ8年間はレンタル屋のカードを持つこともなかったくらい、映画から遠のいている私。

結局ケニアにきてまだ一度も映画を見ていない。


しかし最近、無性に見たい映画がある。

それは、いわずと知れた名作

「ショーシャンクの空に」

高校時代からもう10回は見ているんじゃないかと思うこの作品を、

とにかく今、無性~に見たくなっている。

『Hope is a good thing, maybe the best of things. And no good thing ever dies.』
 希望は良いものだよ。多分一番のものだ。良いものは決してなくならないんだ。


決して、ケニア人とモーガンフリーマンがかぶるからではない。

しかし、主人公と自分を重ねているのはある。


希望と正義を持ち続けることの強さと、何があってもあきらめない不屈の精神。
周囲を上手く巻き込んでいく聡明さ。
新しい生活の中で得る本当の仲間の存在と達成後の爽快感。


それを、深い感動と共にコレでもか。と、示してくれるこの映画。


今欲しいものが全て詰まっている映画。






日本にいる我が弟よ。


確か君、DVD持ってたよね。ショーシャンクの。






いや、確認しただけです。


でもなんか、もうすぐ見られるような気がしてます。



2010年11月17日水曜日

ステージ。

数日前から、カウントアップ&ダウンメーカーなるものをブログにくっつけている。

ケニアに来てから149日目が経過し、ケニアを去るまであと489日を残している今日。

経過と残り、この数字が逆転し始めたら、どんな心境になるのだろうか。


昨日も引き続き、デフォルターの処理をし続けた。

救えた患者は大勢いたのだけれど、今まで手付かずのまま放置してあった、

やってもやらなくても業務には支障がない仕事の数々。

黙々とやり続けていると「もう、どうでもいいや。」と投げ出したくなることがある。

常に最悪のことを想定していても、その数の多さに正直めげてしまいそうになることがある。



昨日ふと考えた。


帰国してから何かを強く感じても、それを実践できる環境はもうない。ってこと。

どれだけ強くアフリカのHIVについて考えても、今と同じステージ上にいない自分。


とても、怖くなった。


「だったら気付いてる今、やるしかないやんか~。」

そうしみじみ思って、また頑張ってみるか・・・。と思う毎日。


日本に帰ったら、また新しいステージに上がる。


国が違えど、職が違えど、

しっかり心をひらいて、「いまここ」に生きていこう。

2010年11月15日月曜日

ソーラン節。

ようやく解禁となった。

といっても、カニの話ではなく・・・。食べたい・・・。
赴任して3ヶ月が経過し、任地外への移動がJICAルール上で解禁となった。

といっても、これまでイベントやナイロビ会議などで何度か移動してきたが
これからは同期隊員のお宅訪問なども公式に認められる。

多くの同期が生活するマラリアの原因となるハマダラ蚊生息地への移動も可能になった。
今回マラリアに罹ってしまったという前フリではないのでご心配なく。

ということで、早速この土曜日にはナイバシャからマタツで2時間のところにあるナロクという町までいってきた。
マサイ族の住む町、ナロク。サファリで有名なマサイマラ国立公園にも近いところである。

マサイ族特有のカラフルな布をまとい、耳に大きな穴を開け、こん棒を持ち、多くの家畜を放牧しているマサイ族をナロクが近づくにつれ多く目にした。

途中でクラクションが何度も鳴り、目を覚ますと子供のキリンが道の真ん中で立ち往生していた。
走ってサバンナに去っていくキリンを見ていると、もう珍しいキリンというよりもただ首の長い馬というような感覚で、あまりにも普通にキリンがいた光景に驚く。

今回の目的はサッカー大会&HIV活動イベントへの参加である。
日本人チームを含める4チームがトーナメント方式でサッカーの試合を4ゲームやる合間にHIVの簡易検査をやったり、日本を紹介するパフォーマンスを披露するというイベントで、先輩隊員と同期隊員が企画運営してくれた。
ボランティア、JICA専門家を含めて、集まった日本人は約30人。
私たちの同期隊員は一番多い11人が参加した。

ということで同期隊員でソーラン節を披露した。UFOも踊れるが、今回はソーラン節。

教師生活8年の間、生徒が踊る素晴らしいソーラン節を文化祭で毎年何十回と見てきたが、実は今だかつて一度も踊ったことがないソーラン節。振り付けのひとつすら踊ったことがなかった。

今回は紹介程度にということで、事前の打ち合わせもほどほどにあやふなまま踊ることになったが、自分の不出来は置いといて結果的にはとても楽しい時間となった。

日本で踊ったことがないソーラン節を、ケニアで踊る私。

超暇であればご覧になって、探して、笑ってください。

見所①スワヒリ語のDJが炸裂しているところ。
見所②踊る配置につくなり冗談半分で足元の石をどけ始める私に、皆もつられるところ。
見所③途中、ケニア人からの拍手が沸き起こり皆とても恥ずかしそうにしているところ。

アンコールを断ったのは、いうまでもない。
ちゃんと踊れていなかったのに、大腿四頭筋の筋肉痛がまだ取れず、
ここ2日間は患者より遅い速度で病院内を歩いている。
はい、残念。


ともかく、イベントにHIV簡易検査を組み込む際の工夫や効率化など参考になることも多く、エイズ対策の仲間と話すことも出来てたくさんの収穫があるイベントだった。