2010年12月27日月曜日

よいお年を。

日本では今頃、元旦には届くように・・・・と、せっせと年賀状を書いている頃でしょうか?

すでにタイムリミットでは!?


私は本日、夜行列車に乗って憧れのモンバサに年越しバカンスに行ってきます。

インド洋に面した常夏のモンバサ、With 同期隊員十数名 with 飲んだくれる。

日本が2011年を迎える頃、ケニアは6時間遅れの2010年12月31日正午です。

変な感じ。


しかし

「攻めの1年」

と掲げて、始まったこの一年。

その2010年が無事にケニアで終わろうとしています。

うれしいことです。

たくさんの素晴らしい出逢いやきっかけに恵まれた1年でした。

そして、多くの縁を感じた1年でもありました。


自分のやりたいようにやらせてもらい、

その上、多くの人から応援していただき、支えていただき、力をいただきました。

ありがとうございます。


毎年毎年、

「この1年が一番充実していたなぁ。」

と振り返れることに感謝しています。



来年も、どんな出会いや、どんな選択が用意されているか分りません。

私の人生にも、皆さんの人生にも。


自分らしく、色んなことに挑戦し、

来年も、予測出来ない楽しさを存分に味わいたいと思います。

皆さんにとっても、よき一年となりますように!!





このような怠け者の私ですが、

こんなにブログが続いていることは奇跡としかいいようがありません。

来年もぼちぼちいきますので、ヨロシクお付き合いくださいませ。


PS

皆さんからの

今年を振り返るメール 新年おめでとうメール 近況報告メール 叱咤激励メール

も随時お待ちしています!
(色文字をクリックするとメール送信画面に移るハズです。)

2010年12月26日日曜日

ショムニ?

昨日は調理場に入り浸った1日だった。

調理係のおばちゃんたちは、つまみ食いは多かったが働き者ばかりだった。

同じ病院内でも、他の病棟に行っていつも思うことは、

「割り当てられた仕事をせっせとこなし、患者さんたちとも仲良くやっているなぁ。」

ということ。

どの病棟もしっかりしたリーダーの存在が何より大きい。

同期隊員が見学に来ると、

みんな口をそろえて病棟内が清潔に保たれていることに感心していた。

一転、

スタッフ不在の時間帯がやたら多い我がHIVケアセンター。

「ちょっと一息」と、他の病棟からもスタッフが休憩にやってくる我がHIVケアセンター。

安心してサボれる場所となっている。


ショムニ的な・・・。

しかし、ここに江角マキコはいない。


来年は、できる限りの改善を尽くす!!


クリスマス出勤。

今日はクリスマス。

昨日のイブから、完全に浮かれているケニア人多数。


私の病院は、マタニティや入院病棟などは24時間体制。

よって、本日はクリスマス豪華ランチと豪華ディナーが振舞われるということで、出勤日ではないが病院にいった。

もちろん、やましく豪華ランチにありつくためではなく、調理の手伝いが目的。

スタッフと、入院患者をあわせた約300人分の食事。

本日は一年の締めくくりとしてふさわしいくらい、休みなしで働き続けた。

まず、朝7時半から血抜きされている鶏をひたすら切り分ける作業。

私も担当の15~20羽の鶏を8~10等分していった。

開始早々、関節をはずしつつ繊維に沿って切っていくコツをつかみ、ただ黙々と鶏を切り続ける。

なかなか、楽しい。



KFチキンの下請け会社にでも就職した気分であった。

ここが手羽先で、ここにナンコツがあって、ここはササミで、これがクリスマスに定番の脚の部分かぁ、と、居酒屋のメニューに定番の部位を確認しながら切り分けていく。

名古屋で食べた大量の手羽先も、一羽からはたった1組しか取れないものなんだなとしみじみ思った。

やることのないときは、豆に入った石やゴミを取り除く作業が入り、手を動かしながら食事係のおばちゃんたちとおしゃべりを楽しむ。


お昼の2時には、チャパティ、ビーフシチュー、チキン、ソーダ、バナナという想像以上に豪華な食事が人数分出来上がった。


どの病棟でも、とても好評だったようだ。

そして本日は、どこの病棟もクリスマスのデコレーションが施されていた。

クリスマスソングを口ずさむ、子供たち。

ワクワク感が伝わってくる。

買っておいたクリスマスプレゼントのキャンデーを小児科病棟の子供たちに配る。



日本の「あけましておめでとう!」と同じような雰囲気で、出会う人同士「メリークリスマス」と言い合った今日一日。


NEW YEARについては、
今日のように特別なことはしないらしいが、スタッフにはヤギの肉料理が振舞われるとのこと。

そして、それを聞いた直後に、調理場にヤギが1匹連れてこられた。

このヤギを皆でいただくとのこと。


歯磨きしているおっさんが、嘔吐く(えずく)ような声をずっと出しているヤギ。


あと数日の命である。

そして、今年も終わる。

2010年12月25日土曜日

運動会inワムム

ワークショップの翌日は、運動会。

灼熱の太陽の下で日陰なしのだだっ広い運動場。という、恐ろしい環境の中、

選手の一員として頑張ってきました。

気がつけば時はすでに年末。

慌しい中でも、身に染みる寒さの中、

しみじみと今年一年を振り返っていた日本の師走の雰囲気とは対極の年末。

変な感じです。


運動会はワムム更生院3チームとJOCV1チームの、合計4チームでの競技。

綱引き・2人3脚は、ザ・日本人。といわんばかりのチームワークの良さを見せつけて
我々JOCVチームの圧勝。

リレーはもちろん、国際舞台と同じくケニアの圧勝。

他にも、歓迎ダンスやエイズ対策〇×クイズ、相撲などもあって大盛り上がりの一日。


《綱引き》
回数を重ねるごとに、
日本人チームのマネを次々に取り入れていく彼ら。
最後には、縄の左右に分かれて
みんなで「オー!イエス!」の掛け声が響く。
どの競技中もスリッパか裸足が基本のスタイル。
有志による歓迎ダンス。
独特のリズム感にはただ見とれるばかり。
お返しに、もはや恒例となった「ソーラン節」の披露。
この日の暑さと老いで、キレの無さが倍増。

ケニアチームは片足で跳ぶのが流行っていた、2人3脚。
しかし、あまりスピードが出ず我々が圧勝。

大縄とびの日本とケニアの異なる練習風景。

《ケース1》 縄に引っ掛かったメンバーに対しての対応。

日本チームの場合・・・次はがんばろう!と励まし、時には改善点をアドバイス。

ケニアチームの場合・・・お前は要らない。と皆からのブーイング後、即メンバーチェンジ!!

《ケース2》 縄回し役の回し方が下手だった時の対応。

日本チームの場合・・・ひとまず縄回しだけで練習させてみて、改善点をアドバイス。

ケニアチームの場合・・・お前は要らない。とやっぱり皆からのブーイングで即メンバーチェンジ。
シビア過ぎるだろ・・・。



引っ掛かったら即交代!の脅威もあり、
本番では苦手な大縄跳びで
50回を超える快挙を遂げた白チーム。
最終種目は日本の国技・相撲
「はっけよ~い、のこった!」で取り組み開始。

その後チャンピオンチームに
日本人1名無惨に投げられるも、

最後、横綱隊員の登場により面目を保つ。

リレーで快勝を収めたメンバー。
見せる表情は、日本の高校生と変わらない。

ここから先は、ただ「撮りたかった」のと「見せたかった」に尽きる写真。

日本では、「草食系男子」なる言葉があったっけな・・・。





日本人が貧弱過ぎるのか?、ケニア人が強靭すぎるのか?

筋トレなどという地味な作業を、彼らがやっているとは思えない。


つい、「ありがとうございました。」
「ごちそうさまでした。」

とお礼をいってしまった彼らの肉体美。


みんな、いい顔しています。やっぱりスポーツは素晴らしい。
更生院後の彼らにも、
すごく興味の湧いたワムム滞在3日間でした。




2010年12月24日金曜日

初ワークショップinワムム

行き先は、同期隊員の活動先ワムム更生院。

同期エイズ対策隊員5人による、初めての出張ワークショップが終わった。

それぞれレベルの違う3つのクラスに1.5~2時間の授業。

いや~、とにかく楽しかった。

今回は、同期のタクチャン隊員に撮影してもらった写真と共に・・・。

スワヒリ語しか通じないクラスには、英語→スワヒリ語の同時通訳をトップクラスの生徒にお願いする。

なんと、授業のリピーターも数人。
知っている質問に対し、躊躇なく積極的に挙手するリピーター。

準備した教材と共に順調に進む。
That's right!!



色々勉強になりました。楽しい時間をありがとう!!

2010年12月20日月曜日

準備。

明日から3日間、同期のヒロキ隊員が活動する男子更生院に行く。

企画してくれた大運動会にあわせて
同期エイズ対策の仲間と企画したHIV出張授業をする予定。


男子更生院の14~18歳を対象として、どのような働きかけが最も有効か、
今回私たちにとって初めての試みとなるこの企画のために、
11月中旬から任地がバラバラの5人がスカイプ通信を利用したり、
総会の合間に集まって大真面目に会議してきた。


〈案1〉
まずケニアの若者の男女交際の実態を知るべく、女性100人を対象にアンケートを実施。
その実態を雑誌anan風に「モテる男の条件」的にまとめ、このツカミで年頃の男子の興味を引きつけ、
女性が喜ぶ男の優しさとは一体?とか、女性とのスマートな交際とは?などに始まり、
正しいコンドームの使い方要チェック!や性感染症とは?などの性教育につなげていくという運び。
そして、運動会当日にはバナナを使って速さと正確さを競うコンドーム装着リレーを行う。

という、この〈案1〉は学校側に即日却下された。
斬新なアイデアが光っていいと思ったんだけど・・・。

理由は、性行為(SEX)ありきの予防教育ではなく、「禁欲を大前提に」とのこと。

ケニアの同僚などに聞いている限りの情報では、
誰に聞いても14~18歳は既に性行為盛んな時期だったはず。

今回は実状に対してピンポイントの授業案とはならなかったが、
この経験がまた次の出張授業につながっていくといいと思う。

よって、昨日からワークショップに向けて仲間と準備のため、我が家で合宿。

頑張るぞ!楽しむぞ!
久しぶりの学校だ!

ということで、しばらくブログもお休みします。
お客様もゆっくり休んでいただける我が家。

お行儀が悪いですが、久々に真剣です。

HIVの解説紙芝居も完成!



ボタンで取り外し自在の教材完成!

2010年12月19日日曜日

続。希望の星、協力隊。

2日前のブログ「「希望の星、協力隊」を書いてみて、

協力隊仲間たちからメールをいただき、

その後も、色んな想いが込み上げている。


海外青年協力隊とは、資金援助活動ではなく草の根支援。

そのためには、

まず、現地の人と共に生きてみることから始まる。


半年。

違う国で生きてみた。

政府の都合、組織の都合、大人の都合、教師の都合、・・・。

不条理、不平等、不当、・・・・。


現状の改善を望んでいないわけがない。


途上国の末端にいる人たちの、言葉にも、声にも出来ない想い。

上の組織の人たちに、届けることを試みることもない悲痛の声。

「あきらめ」というより、欲求を「押し殺す」習慣を持っている人々の存在。

全てを神にゆだねるしかない人生。

その存在にちゃんと気付ける環境を、協力隊は用意されているのだと思う。

一番、住民に近い場所。


病人、障がい者、子供、生徒、女性、僻地に住む人々、低所得層の人々、・・・。


いつも犠牲になる弱い立場の人々に近い場所。



私の場合は、患者さんだった。

私たちの姿を見て、

「何かを変えてくれるヤツかもしれない。」

「俺たちの思いに気付いてくれ。」

「頼む。この現状を変えてくれ。」

と、願っている人が、各協力隊仲間の後ろに大勢いる。


患者のために、生徒のために、弱い立場の人々のために・・・。

「相手の立場になって考える」

そういう感性を育ててもらえる国で生きてきた

日本の協力隊だからできること。

2010年12月17日金曜日

フルーツ中毒。

日本の冬。
どの家庭でもコタツに入ってミカンを食べている頃だろうか。

トイレに行こうとコタツから出た瞬間、「待ってました!」といわんばかりに、
「コーヒー入れてきて」だの
「2~3個ミカンとってきて」だのと、みんなに注文された我が家。

しかし、ミカンを運んだ記憶はあるものの、ミカンを食べた記憶はほとんどない。

嫌いではないが、自ら進んでミカンを食べることはない。
単に面倒くさいというだけでなく、指先が冷えるから。

ミカン自体に体温を持っていかれそうな気がするし、
身体が末端から冷えるので、コタツから両手を出したくない。

健康オタクで冷え性の私は、特に冬場、身体を温め保つことに貪欲になっている。

そして、ミカンだけではなく、1年を通じてその他のフルーツも自ら食べることはほとんどない。

以前、読んだ本に身体を冷やす作用がある食べ物として、トロピカルフルーツを含む多くのフルーツが紹介されていたのが決め手となっている。
なので、自ら食べる桃・梨・大きい葡萄の3種を除いて、「食べたい欲求」が「身体を冷やしたくない欲求」を超えることはまずないので食べない。
「朝のフルーツは金なり」という言葉も、その作用もよく知っているが、朝に冷えたものを食べるとお腹を下す不安に付きまとわれるため自分の中では今まで却下してきた。

しかし!お気づきのように極端な私。
ケニアではなんと、毎日トロピカルフルーツを食べる生活を送っている。
それはフルーツ中毒といえる勢いで、特にパイナップルとマンゴーは主食になりつつある。

決して自分の身体への挑戦を試みているのではない。

暑すぎず寒すぎず、という一年中変化しない気候の中で、常温で食べるフルーツに冷えの心配はなく、何よりそのおいしさに完全に目覚めてしまったからである。

どの路上でも手に入るし、とっても安い。

パイナップル1玉 30~50シル(~約60円)
マンゴー小 5シル(約6円)
マンゴー大 20シル(約25円)

パイナップルを4等分して、スイカのように贅沢にかぶりつく。

身体の60%が水分ならば、今の私の身体は果汁40%くらいだろう。

一生分のフルーツを、ケニアで食べている気がしている。

希望の星、協力隊。

久しぶりにセンターに勤務した今週。

一歩引いて、出来るだけ補助の立場に徹し、改めて自分のいる病院の体制を見ていた。

チャイルドデーと重なるため、最も混み合う水曜日。
なんでそうなるのか不思議なくらい患者のカルテの順番がぐちゃぐちゃになり、患者よりもスタッフのストレスがたまっている。
結局気づいたときには、運悪く検診まで行き着かなかった母子8名を残し、スタッフはランチなどに出かけてしまった後だった。

その昼過ぎの出来事。

近くを通りかかった私に、患者の1人が話しかけてきた。

「いつまで待っても自分の用事を頼んだスタッフが返ってこない。
 どこへ行ったのか、私には見当すらつかない。一緒に探してくれませんか?」

あれこれ話しながら、とりあえず見当をつけた場所に行ってみると、そこにはおばちゃんの探していたスタッフの姿。
用事を済ませて、再び元の場所へ共に帰る途中、
「この病院のセンターは、患者さんたちにとってどうですか?」
と質問してみた。

「3年間通っているけど、ここのサービスはとても不十分(poor)だわ。」
予測していた解答が返ってくる。

それでもここに通う理由は、家から最も近いからとのこと。

「今日もたくさん待たせてしまったもんね。
 そういった不満などは、他の患者さんたちと共有することはある?」
と続けて聞いてみた。

「今は、聞かれたから答えただけよ。不満なんて誰にも言ったことないわ。
 私が不満を伝えたところで、
 聞いた相手がストレスを感じるだけのことだから。」

私にとって、その言葉は意外であり、深く、強かった。

そこに、おばちゃんの「あきらめ」ではなく「強さ」を感じた。

HIVと共に生きる中で、色んなことを乗り越えてきた故の「強さ」だろうか。

沈黙で全ての感情を押し殺し、黙々とスタッフの指示に従える「強さ」。

そして、続けてこう言われた。

「でもね、“ あなた ”の存在は、私たちにとって希望なのよ。

 日本人の “ あなた ” を前回初めてセンターで見た時、

 何かが変わればいいな、と思ったわ。」


おっと、鳥肌立ちまくりの事態。

『言ってくれるやん!おばちゃん!』

コレを聞いて、火が着かないわけがない。


患者さんたちが忍耐強く我慢する必要のないことはたくさんある。

「おばちゃん、待っててや!」と、言う私に

「今日は、本当にありがとう。助かったわ。」

そう笑って、おばちゃんは去っていった。

普通のことをして、患者さんに「ありがとう」といわれることは本当に多い。



素敵な言葉だ。


会議や出張で、今年勤務する日は残り2日となった。
24日のイブと25日はクリスマスバージョンの病院食を作る手伝いをする予定。

残り2日&2011年
心にこの言葉を留めて活動していきたいと思う。

《マザーテレサの言葉より》

親切で慈しみ深くありなさい

あなたに会った人がだれでも
前よりももっと気持ちよく
明るくなって帰るようにしなさい
親切があなたの表情に
まなざしに、ほほえみに
温かく声をかける言葉にあらわれるように
子どもにも貧しい人にも
苦しんでいる孤独な人すべてに
いつでもよろこびにあふれた笑顔をむけなさい
世話するだけでなく
あなたの心をあたえなさい

孤独な人はどこにでもいます
あなたはそのことに気づいているでしょうか?








2010年12月14日火曜日

男子割礼。(包茎手術の見学)

同期隊員のHIVケアセンターには、Circumcision(割礼)をおこなう手術室が併設されていた。

(*割礼についての説明はページ下部参照)

早速、見学レポートに入りたいと思う。



まずもって、局部の手術なんて非常にデリケートな部分でもあるので、

たぶん無理だろうなと、こちらもダメもとで見学したいといったのだけど、


あっさりとOKがでて(もちろん患者への断りはなし)

すぐに手術室のベッド横に通してもらい、

マスクをつけてかなりの至近距離で見学できることになった。


そこから立て続けに約12歳~50歳ほどのケニア男性たちの、


年齢差や個人差によって、質も大きさも異なる6名分の?6本分の?

包茎手術をじっくり見学させてもらった。



医者も慣れたもので、所要時間は1人あたり10~15分程で流れるように終了していく。

ベットが2台あり、その間にカーテンなどの仕切りもなく、患者2人を同時進行。

その行程はとても単純で、まず陰茎全体を消毒し、付け根の部分をぐるりと囲むように麻酔を何箇所にも分けてブスブスと注射する。

これは声が漏れるほど痛いことのようで、どの人もかなり痛そうにしていた。

次に、麻酔の効きを早めるためか陰茎全体を強く揉み、包皮のみを上にぎゅーっと引っ張り上げる。

結構よく伸びるものなんだな、と感心しているあいだに、

上部3分の1程の所をパチンとクリップみたいなもので止めて、その上部をメスでサックリと切除。

もう麻酔が効きはじめているの?亀頭までサックリいっちゃってないの?


と、ドキドキさせられる程の早業であった。しかし、どの人も手術は成功していた模様。

出血の量は、包皮自体からはほとんどなかったが、包皮と陰茎の癒着度に個人差が大きく、完全に癒着している人の場合は出血も多かった。


最後に亀頭の首の部分と包皮の切り口を縫い合わせ、

先端に亀頭を出したままの状態で包帯でグルグル巻きにして終了。

術後3日間は痛み止めを飲みながら、再診の際に包帯を取り外すとのこと。


手術後に無言で、特典のファンタグレープ味(500ml)をゴクゴク飲んでいる彼らをみて

麻酔が切れたときには、どんな痛みが彼らを襲うのだろう・・・。と想像していた。

この見学レポートが何の意味を持つかは定かではないが、とりあえず見学したことの報告として載せることにした。

皆さんの何かの足しになれば・・・。


しかし何より気になったのは、かなり痛みを伴う手術なのに、

何が彼らの行動変容に繋がるキッカケになったのかということ。


息子の付き添いで来ていた父親に聞いてみると、割礼の有効性をメディアで聞いたから息子を連れてきたとのことだった。


やはり、メディアの力はケニアでも大きい。

他の地域からわざわざ来ている人もいて、

この手術自体が無料であること、ジュースがもらえることなども理由に含まれていそうである。


しかし、今回見学させてもらった患者の中で、高齢だった50歳代の男性の場合、

余計なお世話だが、今更このタイミングで一体何の目的があったのだろう・・・・、という気もする。

しかし、それは日本(私)の感覚で、この地域に住むルオ族にとっては、まだまだ子孫を残していくためにひと勝負もふた勝負も控えている年代なのかもしれない。

これから新しい妻をもらうための準備なのだろうか、と色々考えさせられた。



よって、今回のキャンペーンには相当な予算がついているとはいえ、

「割礼によってHIV感染率が60%減少」と考えると大きな成果つながりそうだ。

とにかく百聞は一見にしかず。貴重な体験だった。


【補足説明】


「割礼」
日本では耳慣れない言葉であるが、割礼というのは宗教的儀式のひとつで、男性の性器の一部を切除する事である。現在でもユダヤやイスラム、アフリカなどで行われている風習で、成人の男性が衛生上の理由から包茎手術を行う事がある。性器の一部を切除するとは男性の陰茎の皮を切り、亀頭を露出させることで包茎になることを防ぐ。
世界では人口の約6分の1の男性が割礼を受けているといわれていて、米国でも衛生上の理由で行われているが、宗教的要素はなく包皮を切ることを割礼とは呼んでいない。


包茎になると包皮と亀頭との間に排泄物の垢や残りが溜まってしまい、悪臭を放ったり腐敗したりという事で、不衛生になる。HIVウイルスも多く含まれる粘膜の部分ということで、この割礼の効果として、HIV感染の危険性が60%減少するということが研究の結果わかってきている。

日本では、成長過程において自分で皮を剥いたり、新生児のうちから両親がお風呂で少しずつ
剥ける様にしているのがほとんどで、自分で包皮をずらして亀頭を出せる状態(仮性包茎)であれば手術の必要性は低いとのこと。

さて、ここケニアでは42民族によって様々ではあるが、割礼が成人儀式として位置づけられていることも多く、本人がその痛みに耐えられるほど大人になったと判断したときに、「今こそ、割礼のときだ!」と、言うかどうかは定かではないが、割礼を受けることを親に知らせて、親戚や村民を一同に集めてお披露目するらしい。人々の前で割礼師によって麻酔なしで包皮をちょん切られ、その時に表情を崩さず、弱音を吐かないことこそが真の強い大人の男になった証であるとされている。実際、感染症や、陰茎の損傷、死者なども出ている儀式。恐ろしすぎる・・・。
しかし、病院で麻酔をかけて痛みを最小限にして行う手術は、弱虫の証とされることがあり、今でも儀式的な割礼を希望する者が多いとのこと。

今回訪問した病院はルオ族の居住するニャンザ地域。このルオ族は風習的に割礼を行っていない民族である。一夫多妻で、HIV感染率も高いこのルオ族に対して、政府のHIV対策の一環として割礼普及キャンペーンが行われていた。手術代はすべて無料で、術後には500mlのファンタグレープまでもらえる。

一方、私の住んでいるナイバシャでは割礼キャンペーンは行われておらず、割礼は外来診療で受付し、大抵は夕方以降に1日に0~3人程しか受けに来ないし、金額も約1,000円かかるということで、地域ごとにも大きな違いがある。

2010年12月13日月曜日

現地風。

ケニアでの水浸しを経験させてくれた、同期のエイズ対策マリ隊員。

彼女は赴任して4ヶ月、なんと炭で火をおこして料理を作っている。

ケニア人もびっくりの、笑顔の絶えない頑張り屋さんである。

ケニアでは近所の人もやっている通常のスタイルではあるが、ガスも非常に手軽に購入できるため協力隊のほとんどはガスコンロを購入している。

彼女は遊びに来ている私のために、炭で火をおこして夕飯を作ってくれた。

前日は水浸しで、その日は停電に見舞われた。

その中で、本日のおかずとなるオメナ(小魚の日干し)に入ったゴミを取り除くお手伝い。

オメナ料理とは、この地域でよく食べられているものらしく、私にとっては見るのも食べるのも今回が初めてだった。

聞くところによると、日干ししている光景を見てしまったら食べる気も失せる代物とのこと。

とにかく、そこにたかるハエの量が半端ないとのことで、現地の人でも、「オメナ=猫のご飯」として捉えている人もいるらしい。

大変生臭いといわれているこのオメナを、いつもやっているようにしっかり熱湯で湯通しして、油で揚げて下準備をしっかりして、日本から送ってもらったという貴重なお味噌で煮てくれた。

見た目からして、ちょっとドキドキ。
出来上がったオメナ料理をパクリと一口。

・・・・。



素材が生きている。

というより、素材の生臭さが全く死んでいない。
かつ、スープの隅々まで行き届いてしまっている。

そして、そのスープに浸る白いご飯。
ご飯も私も、逃げ場がない。

しばらく、もくもくと食べ続けるものの残り4分の1のところでギブアップしてしまった。
が、マリ隊員は、猫のように笑顔のまま食べ続けている。
さすがである。

今まで、どのケニア料理もおいしく完食してきたが、同期隊員の作ってくれた現地料理にギブアップするとは・・・。

聞けば、今回特別に使用してくれた味噌は、初めての試みだったらしい。
考えたら、「味噌風味」という時点で、現地料理ではない。

勝手にアレンジをされては困る。


しかし、色んなことを語り合い、なんだかんだと楽しい夜ではあった。
翌日の朝ごはんは、日本から送られてきた貴重な永谷園のお茶漬けを食べさせてくれた。
マリ隊員、ありがとう。

そして、翌日の11日は、そこから2時間の同じエイズ対策のユミ隊員のお宅へ2人で訪問した。

彼女の家は乾いているばかりか(水浸しでないという意味)、部屋のあちこちに女性らしい飾りつけなどがしてあり、台所には電子レンジもガスコンロも炊飯器も、数多くの調味料も並べてあり感動した。

近くに住むフジコ隊員も含めて料理を作り、お酒と共においしくいただいた。
総会で3日前に会っているのに、隊員と話す時間はとても貴重である。
ユミ隊員ありがとう。

ケニアでオーダーメイドした900円のブラウスを着て
マリ隊員・私・ユミ隊員
そして、12日。
10日ぶりにナイバシャに戻った。
落ち着く。

12月は、エイズ対策隊員でやるイベントが多く、これからも任地を空けることが多くなる。

数少ない任地での活動ではあるが、今年のよい締めくくりにしたい。

しかし明日は、祝日で仕事は休みなのでゆっくりしようと思う。


得るべきもの。

予定通り、同期隊員の勤務するHIVケアセンターに見学に行ってきた。
行ってみると多くのスタッフが「おはよう!」と日本語で声をかけてくれた。

HIV/AIDSのケアセンターとしては
ケニアNO.1 = アフリカNO.1 = 世界NO.1

というだけあって、うちの病院と比べても違うところだらけ。

HIV感染率は私の住む地域リフトバレー州の約3倍あるニャンザ州。
感染者が多い分、期待できる効果や結果も大きい。
政府や援助の力の入れようも他の地域と比べて高いことを感じている。

施設の広さは6倍、患者の数は5倍、スタッフの数は3倍、
厳しいリーダーのもとでの協力体制は無限。であった。

働いているスタッフの多くがHIV陽性者であると聞いて、こまごまとした部分への気遣いが行き届いていることにも納得させられた。
私の知っている限り、うちの施設に陽性者スタッフはいない。

毎日150~200人の患者が来院し、列を乱すことなく決められた手順で患者が進んでいくというパターンがしっかり確立していた。
デフォルターの追跡を行う専属スタッフも3人いて、何を質問してもしっかり回答が返ってきて感心するばかりだった。

今後の改善点といえば、人員削減くらいだろうか。

しっかり出来上がっている体制の中に派遣されることの難しさがある。
自分の存在意義すら問われそうなこの施設。

どんな環境でも、そこでしかわからない苦労も、そこでしか得られないものも、人の数だけあるんだろうと感じた。

日本での私の場合、
教師をして、担任をして、顧問をしたことで、色んなものを得て、学ばせてもらった。

今も、担任したいなぁ。と思う。
未練とは、また違う。
楽しい毎日の中でも、漠然と思う。
自分にとってあれほど、毎日の刺激も、素晴らしい出会いも、素晴らしい経験も、豊富にある職はないと今でも思う。
1~3年の間、1人1人の生徒とつかず離れずに、じっくり向き合って成長をみせてもらえる楽しさと喜び。

協力隊に応募した時も、協力隊に合格した時も、生徒の前に立っていた時も、ケニアにいる今も、同じように思い続けている。

思う中で、自分で決めて、ここにいる。

私がここで得るべきものとは?
教室ではない、ここで学ぶべきこととは?

もう既に色々学ばせてもらっているが、これからが本番。


人は皆、自分が得るべきものを得られる環境を、用意されている。

というより、常に選択している。

数々の自分の選択で成り立っている自分の人生。

出会うべき人、こと、環境にちゃんと出会うためには

何よりも、勝負し続けること。

たとえ悩んでも、考え込んでも、常にアンテナを張って、動くべき時に動くこと。



初めての同期の任地訪問は、自分を客観的にも見られて、とても刺激的なものだった。

もらったヒントを、また、今後の勝負の材料にしていきたい。

2010年12月11日土曜日

同期隊員宅訪問。

ナイロビ滞在後はナイバシャに帰らず、同期の加藤マリ隊員の任地シアヤに訪問に来ている。
彼女の家はケニア西部のニャンザ州にありウガンダとの国境にも近いところだ。
オバマ大統領のお父さんが住む場所でも有名である。
この地域のHIV感染率は約15%と国内でも非常に高く、そのため大部分のエイズ対策隊員がこの地域に配属されている。
予約制の長距離バスでナイロビを朝7時半に出発し、夕方5時半にシアヤに到着した。
ナイロビの疲れがどっと出たのか、10時間の移動中のほとんどを2人とも寝て過ごした。

今度は長距離バスの疲れと共に、ようやく彼女の家に着いた。

が、

1週間空けていた彼女の家は水浸しであった。
水道が壊れているのに、水道の元栓を締め忘れたらしい。
4部屋中2部屋が水没。

ポタポタと滴り落ちる水も1週間出続けるとこんな量になるんだと、感心した。
大き目のゴキブリもなぜ上に逃げなかったのか、4~5匹水没していた。






ただただ、ゆっくりとしたかったその日。

一番来てはいけない日に来てしまった。


水不足の深刻なケニアで水浸し。
この勢いで、マラリアにも罹る予感がしている。

と思いながらも、すぐに切り替えて水をかき出す私たち。
荷物を全て外に出し、生き残りのゴキブリも2匹ほど退治して、年末の大掃除並みに頑張った。


明日は今回の目的である彼女の勤務する病院に見学に行くつもりだ。
HIV感染者率の高さ、一夫多妻制の民族の地域、ケニアNO.1といわれるHIVケアセンターの体制など、うちのセンターと違ったところや参考になる所をじっくり見てこようと思う。


隊員総会。

年に2回行われる隊員総会。
ケニアに派遣中の約90名が一同に会し、
JICAへの要望や改善案の審議、
外部講師や専門分野を持った隊員の講義、
隊員動同志の活動報告やグループディスカッションなどを2日間にわたり行う。

特に専門分野を持つ隊員の講義は聞き応えがあり、
ケニアならではのサファリのスペシャリスト(以前に5年間のケニアサファリガイドの経験を持つ隊員・TVチャンピオン野生王国編優勝者)の先輩隊員の発表などは、
「これを聞けて、ケニア隊員でよかったなぁ」としみじみ感じるものだった。
マサイマラの動物たちの貴重な写真に魅了された。

隊員の活動発表についても、残りの活動がもう半年を切っている先輩たちの報告は現在進行形ということもあり日本で聞いたことのある報告会よりも熱気に満ちており、残された期間への意気込みが伝わってくる内容だった。
発表者として選出されている隊員の活動の共通点は、
考えるよりもまずやってみること。
その結果起こったことに対して柔軟に対応しながら、
更なる改善の糸口や新たな活動を見つけていくこと。
に突起していたように思う。
現在までの任期中に、彼らが「挑戦」した数の多さは刺激されるものだった。

翌日には、半日かけて交通安全の講義があり、ナイロビの警察官、JICA専門の警察官、日本大使館の警備班の方々から、ケニアでの被害事例を細かく講義していただき、
カージャックの見分け方や強盗に遭遇した場合の対処などなど、
犯罪の多発するクリスマス&年末に向けて非常に具体的にご教授していただいた。
とにかくケニアの治安は、変わらず悪い。
ということだった。

その後、柔道有段者のシニア隊員による護身術の実技講習があり何やかんやと楽しかったのだが、女性の隊員同士ですらなかなか通用しない術のため、何度も反復練習をするうちに、
術を上手く使いこなすよりも、未然に防げる生活を送ることが何よりだな。
と、十分実感させられた。

犯罪と無縁の生活を送れるよう、最大限の予防に努めたい。
エイズ対策の打ち合わせもあり、過密スケジュールのナイロビ滞在だったが多くの隊員との交流も深まり充実した1週間だった。

2010年12月10日金曜日

副大統領ご接見。

みなさんお久しぶりです。
エイズデーの翌日の2日から今日までずっとナイロビに滞在していました。

3日は、ケニアの副大統領のMr.カロンゾ・ムシオカへのご接見というビックイベントがあり、
当初行く予定は全くしていなかったものの、
急遽2日前に召集がかかり参加することに。

ケニアの至る所に飾ってあるキバキ大統領の顔はよく知っているものの、
副大統領となると全く顔も名前も知らないお方。



私たちJOCVは副大統領の到着2時間前に会場入りし、
その後さらに副大統領の到着が1時間半遅れることになったものの、
「これぞケニアだ」と余裕の表情で待ち続け、
人数合わせの一員として
VIPに粗相のないように役目を終えました。




最後は一人ひとりと言葉を交わしていただき、
順番を待つ私。
握手もしてもらい、とても貴重な経験となりました。
生活のことを聞かれ「順調です。」と伝えているところ。






















が、会場となったナイロビの高級ビルのトイレの豪華さにはもっと驚きました。

ここ最近、汚くて超臭いトイレやぶっ壊れたトイレには全く驚かなくなったものの、
逆にキレイで整ったトイレにはやたら反応を示してしまう傾向にあります。
豪華なトイレに入っていく私。


クリスマスのデコレーションも至る所にしてあり、暑いクリスマスの雰囲気が少し味わえました。

2010年12月2日木曜日

世界エイズデー。

今日、12月1日は世界エイズデー。

昨日決めた行き先、刑務所に行ってきた。

病院で月1回活動しているユースグループ(HIVについてサポートする青年団)の若者約20人程とナースと共に、毎日服役囚たちが運ばれてくる大きなバスに乗せてもらって向かった。




日本の刑務所には行ったことがない。


数日前に「ショーシャンクの空に」で見た映画の世界の刑務所が、

私の知っている刑務所の全てである。

行ってみたら、そのイメージ通りの刑務所だった。

ケニアで2番目の規模となる大きな敷地の中には、いつも病院で見る縦じまの囚人服を着て
与えられた仕事をこなしている多くの服役囚がいた。
殺人、レイプ、強盗など、ありとあらゆる犯罪を犯した人々が収容されている。

彼らによって庭の手入れも非常に念入りにされていて、きれいなグランドでは線審のような位置取りで立っている刑務官に見守られてサッカーをしている服役囚たちもいて驚いた。

色んなものをマジマジと観察しながら、いよいよ今日のイベントを行う野外広場に続く最後のゲートを抜けた。そこでは約2,000人以上は軽く超えている服役囚たちが、私たちの上がるステージを180度取り囲んで大歓声で迎えてくれた。

全員、男。

この迫力は満点で、マジで、恐ろしかった。


その後、服役囚たちの代表が爆音の中で歌とダンスを披露。

その完成度、超高し。
どのように練習して、この日を迎えたのだろう・・・。

整った音響設備を操作しているのも、ドラムやベースを弾いているのも、流暢な司会を進めているのも、全て服役囚である。

大人の服役囚たちはまるで学校にいる学生のような雰囲気で、刑務官たちも学園祭で張り切る学生たちを温かく見守る教師のような雰囲気で協力している。

ダンスは飛び入り参加もOKで、サポートグループのメンバーと多くの囚人とが次々に入り乱れて踊りまくる光景は、何とも言葉にし難いものだった。

続くドラマ(演劇)では、HIV/AIDSの感染から発覚、治療までのストーリーを女装をした人も含めて演じる。
とにかく1人の日本人を除いた全てのケニア人が何度も爆笑していた。

てっきり、こちらのユースグループが様々な催し物を披露するものだと思い込んでいたのに2時間以上は服役囚たちの披露が続いた後、ようやくユースグループの番が回ってきた。

行きのバスの中からみんなを爆笑させて、ユニークなダンスも度々披露して、みんなの人気者のバイロンのポエムから始まった。
で、これがまたすごかった。
ポエムというより演説のようで、服役囚の中を歩き回ってはHIVに関しての訴え、ケニアの未来に対しての希望、ここにいるみんなの平和を熱く30分ほど絶叫していた。
何度も拍手が沸き起こる中で終了し、バイロンに握手を求める人が殺到していた。

その後、再びドラマが始まったが土砂降りの雨に見舞われてしばらくの間待ってみるものの、結局止まずに終了。その間、小雨になるたびに、またもやみんなが雨の中で踊りだす光景は異国にいる実感を十分に持たせてくれた。

非常に、刺激的な一日だった。



「ショーシャンクの空に」で、40年服役中のレッドがいった言葉。

「最初はあの高い塀を憎む。しかし、何十年もこの中にいると今度はあの高い塀に頼る。
あの高い塀が俺たちを守っていてくれるとさえ思うようになる。
外の世界には俺の居場所はない。塀の中でこそ、俺は俺として存在出来るんだ。」

多分、こんなようなことを言っていた。


今日を振り返って感じたこと。


塀の中にも、確かに、ひとつの社会が存在していた。

ダンスの上手い人、歌の上手い人、面白い人、・・・・。

ひとつの社会の中で、皆に存在を認められて、自由で輝いているようにさえ見えた人たちがいた。


この人たちの過去に何があったのかは知らない。

この人たちによって、どれだけの人が犠牲になったのかも知らない。


塀の中で規制をかけられてこそ、自己のコントロールができる人々。


ここでの生活が、塀に頼らない人生に繋がっているものと信じたい。

被害者や、遺族の立場で、今日の光景を見たら、どんな感想をもっただろうか。

言葉がわからないと、余計に色々なことが頭をよぎる。


HIVをテーマにしたイベントで、多くのケニア人のエネルギーに触れることができた。

来年はどんなエイズデーにしようか。と今から構想を練りたいと思う。




2010年11月30日火曜日

グウタラ。

昨日立て続けにブログを更新し、

しかもその内容が「遺体安置所」・「宗教」・「死」の3本立てということで

一体どこまで気の滅入った日曜を過ごしているんだ?と、

もしかしたら、心配してくださった皆様、どうもありがとうございます。


実は「宗教」と「死」については、随分前から書き溜めていた内容だったのですが、

更新するタイミングがずっと見つからないまま、

今回「遺体安置所」を見に行った際に、一挙に公開する運びとなりました。


日本にいるときから考え続けていたことでもあるので、

また何か変化があったらその都度、書き留めていこうと思います。


さて、この週末は最近調子が悪かったネットがほとんど繋がらず、ギターを弾いても2日間は持たないし、同期隊員を招待するために掃除も洗濯もしたので掃除と洗濯をする必要もないし、

ということで・・・

同期隊員がお土産に持ってきてくれたDVDデータを見続ける大会を自宅で開催しました。

参加者はもちろん1人。

今までDVDを見ていなかったことが嘘のように、とりつかれたように2日間、

まずはお笑いのDVD「ガキの使い」、「アメトーク」、「すべらない話」を何本も見続け、

昨日の夕方からは久しぶりの停電に見舞われた真っ暗闇の中で

念願の「ショーシャンクの空に」のDVDを鑑賞するという流れで、

希望とあきらめないことの強さをしみじみと感じている間に

気がついたら週末が長い暗闇と共に終わっていました。


久しぶりにグウタラし過ぎた週末。


今週は、世界エイズデー「12月1日」があります。


うちのCCC(HIV/AIDS包括的ケアセンター)では毎年

このエイズデーには、特に何もやらないということです。

ちょっとビックリしました。


その日は、ここにいてもしょうがないということで、

来年のために、今日明日中に、エイズデーに身を置く場所を決めたいと思っています。



2010年11月28日日曜日

死。

「死」について、初めて意識したのは小学校3年生の頃だったとはっきり記憶している。
それほど衝撃的で、しばらく怯え続けてしまう出来事だったからだ。

そのきっかけは、校長先生が読んでくれた絵本『地獄』

メルヘンな絵本とは大きくかけ離れていて、登場人物の五平という男が地獄で見てきた恐ろしさについて語り尽くす内容で、
話の内容も怖かったが、それ以上に絵巻物の様な不気味なタッチで描かれた
真っ赤な地獄と泣き叫ぶ人々の絵がとにかく恐ろしかった。

「地獄の恐ろしいところは、死ねないことである」
というようなことも書かれていて、
いつまでも石を積み上げては鬼に壊されている子供の絵もあった。



誰もが一度は考える、
死んだら、どうなるんだろう。
なんで死ぬのに、生まれたんだろう。

ということを、当時3年生の私は2週間くらいは毎晩布団の中で、なかなか寝付けずに怯えながら考えていた。もう、それはトラウマのように。


それとは別の話で、中学校1年の時に教室で「夢」について原稿用紙に書いてみようという機会があった。「将来なりたい職業」だったら、小学校の頃から思っていた「教師」と迷わず書いただろうけど、その時は自分の力でどうにも出来ないものという解釈で考えた結果、
「自分の寿命をまっとうして、最後は布団の中で眠るように安らかに死ぬこと。」と書いた。


おそらく小学3年生のその時から、そういった類の話に対して無意識にアンテナを張り続けてきたからだろうけど、その後、高校、大学、就職してからも、幾度となくそういった話を、他の誰かと話す機会に出会ってきた。

ここにいて度々感じるが、そういうことが繋がり続けて今、ここに自分がいる気がしてならない。



「生」や「死」についてとことん考える機会を与えてくれるアフリカの病院に。




先週、パソコンのデータを整理している際に昨年保健の授業に使用したデータを発見した。

「壮年・老年期の健康」という単元を教える際に使用した『死ぬときに後悔すること25』という本を教材として紹介したものである。
 高校生の彼らに、壮年期の健康課題や生きがいについて話したところでなかなか興味もイメージもわかないし、自分がさほど年を取っていないので、ありきたりの言葉で説明しても伝わらない。
ならば、壮年・老年期の人たちが「死」に直面したときに感じることをそのまま伝えて、その逆の「生」や「生きがい」について共に考えよう。という狙いをもっていた。


(以下、引用)

『死ぬときに後悔すること25』 (大津秀一著:緩和医療医)
1000人の死を見届けた終末期医療の専門家が書いた 

1. 健康を大切にしなかったこと 
2. たばこをやめなかったこと 
3. 生前の意思を示さなかったこと 
4. 治療の意味を見失ってしまったこと 
5. 自分のやりたいことをやらなかったこと 
6. 夢をかなえられなかったこと 
7. 悪事に手を染めたこと 
8. 感情に振り回された一生を過ごしたこと 
9. 他人に優しくなれなかったこと 
10. 自分が一番と信じて疑わなかったこと 
11. 遺産をどうするかを決めなかったこと 
12. 自分の葬儀を考えなかったこと 
13. 故郷に帰らなかったこと 
14. 美味しいものを食べておかなかったこと 
15. 仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと 
16. 行きたい場所に旅行しなかったこと 
17. 会いたい人に会っておかなかったこと 
18. 記憶に残る恋愛をしなかったこと 
19. 結婚をしなかったこと 
20. 子供を育てなかったこと 
21. 子供を結婚させなかったこと 
22. 自分の生きた証を残さなかったこと 
23. 生と死の問題を乗り越えられなかったこと 
24. 神仏の教えをしらなかったこと 
25. 愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと 

(以上、引用おわり)



いま、改めて読んでみると、日本人ならではの項目がほとんどだと感じる。

そして、ケニア人だったら、絶対こんな後悔は出てこないだろうなぁ。と感じる項目もある。


ケニア人は、死に直面した際にどんな後悔がよぎるのだろう。








何にしても、後悔のない人生を送りたい。




人生を振り返った時に、微笑んでしまうような人生を、


「自分の寿命をまっとうして、最後は布団の中で眠るように安らかに死ぬこと。」